ティエリ・アンリ(サッカー元フランス代表)の現在。引退して評価を下げたストライカー

アーセナルで大活躍した寡黙なストライカー。2000年代にウイイレをしていた人なら誰でも使いたくなる選手だったティエリ・アンリは、2014年に引退しました。
今回は、サッカー好きならみんな知っている名選手の現在を調査してみました。

アーセナルだけじゃない!ティエリ・アンリの凄すぎる活躍

*画像出典:https://www.dailystar.co.uk/

1977年8月17日、フランスのエソンヌ県にあるジュリスという小さな町で生まれたアンリ。

父親はカリブ海に浮かぶ島、グアドループという地方出身の元サッカー選手で、アンリが子供の頃からサッカー選手にさせるための厳しい練習を課していたそうです。

幼くしてサッカーの才能を開花させていたアンリは、ジュニアのクラブチームを転々としており、16歳でASモナコに入団。(尚、15歳で既にモナコのユースに入っています)

モナコでは17歳で1部の試合でデビューを果たすと、その後はU-19フランス代表に選ばれたり、1996年シーズンはリーグ・アン(フランスサッカーリーグ)の最優秀若手選手にも選出されました。

1999年はユベントスに移籍したものの、大した結果は残せずに2000年のシーズンからはアーセナルに在籍します。

現在も伝説と言われているアンリですが、今もアーセナルのFWという印象が強く残っている人がほとんどではないでしょうか。

アーセナルでは通算254試合に出場していて、なんと174得点も決めています。

さらに特筆すべきは、2003~2004年のシーズンでアーセナルが無敗優勝(26勝12分け0敗)をした時、アンリが30得点で得点王になったことでしょう。

2年連続でプレミア年間最優秀選手賞も受賞していて、翌年もプレミアの得点王になっているのでこの頃あたりがアンリの全盛期だったと言えそうです。

連続で得点王になるのは、マークが厳しくなったり自他ともにチーム環境が変わるので、かなり難しいことなんですが、アンリはアーセナルで出場していた期間は最終年を除いて全て17得点以上しています。

2008年シーズンからはバルセロナに移籍

3年間バルサにいましたが、2年目はもっとも活躍したシーズンで、リーグ戦は29試合中19得点という好成績を残しました。

2010年シーズンは、途中からアメリカのNYレッドブルズに加入。

加入時の年俸は5億円越えで、当時のMLSの最高額の選手になっています。

全盛期ほどの活躍はなかったものの、2014年に引退するまでほとんどの試合に出場して、2011年~2014年までは全て年間10得点以上あげました。

2013年はリーグ1位(サポーターズ・シールドと呼ばれるタイトル)をはたしているので、プレミア、リーガ、MLSの、所属したチーム全てでタイトルをとりました

ちなみに、2012年にはアーセナルにローンで2か月移籍した期間があり、アーセナルでは2か月間で4試合に出場して1得点をあげています。

どの国でプレイしても注目され続けたアンリ。
フランス代表でも大活躍していて、1997年、20歳の時に初招集されるとそこから2010年の南アフリカW杯まで代表を務め、通算で51得点もたたき出しています。

https://www.youtube.com/watch?v=y7k-TFdUMg0

アンリの特徴と言えば、長い脚。
その長い脚でトップスピードに乗ると誰も追いつくことが出来ないスピードで、188㎝と長身ながらテクニックも正確なポジショニングも持ち合わせています。

ミスをすることも少ないし、ディフェンスはあまり評価は高くないものの、ウイングやフォワードとしては今も史上最高の選手という人もいますね。

プレミアに限定して言えば、歴代最高のストライカーと言われているのも納得できます。

2019年のインデペンデントという新聞では、「プレミアリーグの最高の選手100人」のリストで1位にランク付けしているほどです。

そんなアンリも2014年のシーズンを最後にサッカー選手として引退してしまいました。

それでは、引退後のアンリに迫ってみましょう。

引退後から現在に至るまでのアンリ

アンリは、2014年の12月に自身のFacebookで引退を表明しました。

2010年にフランス代表は引退していたのですが、サッカー選手として2014年の年末に引退したことはフランスでも大きく報道されたようです。

引退したアンリは、引退から2か月後の2015年2月にはアーセナルのユースでコーチに就任

さらにコーチング業を並行しながらスカイスポーツの解説者・コメンテーターとしてもメディアに登場するようになりました。

*画像出典:https://www.express.co.uk/

解説者としての仕事を辞めるように、アーセナルのベンゲル監督に言われたアンリは、2016年6月にユースのコーチを辞任。

その後、2016年からはベルギー代表チームのアシスタントコーチに就任し、ベルギーに移住します。

2016年にUEFAの指導者ライセンスAを取得したアンリは、2018年に遂に監督としてのオファーが入り、古巣であるASモナコの監督に就任しました。

しかし、監督としてのアンリは正直に言って全然ダメでした。

セスク・ファブレガスを獲得して再建を図るものの、就任して12試合でわずか2勝どまり。

モナコはアンリを監督にしてたった3か月でアンリをクビにしました。

監督としての実績を積みたいアンリですが、カナダのクラブチームであるモントリオールインパクトというMLS(メジャーリーグサッカー)のチームの監督オファーを快諾。

2019年11月から2021年2月までの1年3か月ほどを指揮するのですが、最初のシーズンのプレーオフでは敗退。アメリカのチャンピオンズリーグでは準々決勝で終了。

監督として全くと言っていいほど結果を残せていません

そして現在は、2021年5月にベルギー代表のアシスタントコーチに再度就任。5年ぶりの復帰となり、現在に至っています。

今後はコーチングでの経験と実績を積んで、監督業を目指しているアンリ。

選手時代の輝かしい実績には到底追いつかない指導者としての実績を、これからどんどん積んでいって、現在は不仲と言われているベンゲルのような偉大な監督になってもらいたいですね。

アンリの元嫁のクレア・メリー

プライベートのほうでは、2003年にイギリス人のモデルであるクレア・メリー(芸名はニコール・メリー)と結婚してテアという子供も産まれましたが、アンリの浮気が発覚して2007年に離婚。

2008年には日本円にして23億円という破格の慰謝料を支払うことで合意したというニュースが世間を驚かせています。

現在のアンリは再婚したという情報はなく、今も独身と考えられています。

サッカー選手として大成したストライカーも、結婚生活だけでなく監督業でも上手く行かず、2015年にはアントラージュ オレたちのハリウッドという映画に少し出演したもののそれ以降のオファーもありません。

選手時代のように輝かしい実績を今後、監督として期待したいですが、現在所属しているベルギー代表のアシスタントコーチでの成功をまずは祈ります!