今なお記憶に新しい、北朝鮮の拉致被害者・曽我ひとみさんの帰国。
2002年に24年ぶりに日本に帰国した彼女ですが、何よりも日本国民を感動させたのが、夫であるジェンキンス氏との再会シーン。あの再会は2004年。もう10数年経ちますが、夫であるジェンキンスさんは今現在、どうされているのか、調査してみました。

 


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こちらはジェンキンスさんの生前に執筆した情報です。
2017年12月11日、ジェンキンスさん死去にともない、最新情報を追加しました。
最新情報は→こちらから。

 

チャールズ・ジェンキンス氏の略歴

*画像出典:Seesaa ブログ

ジェンキンスさんの本名はチャールズ・ジェンキンス。
もとはアメリカのノースカロライナ州出身の軍人です。

 

第二次世界大戦から10年後。15歳という若さでノースカロライナの軍に入隊。

1960年から韓国の米軍に、
1964年からヨーロッパの米軍に、
その後は再び韓国の米軍に派遣されます。

 

そして、のちに1975年に終結することとなるベトナム戦争に派遣されることが原因でアルコール依存症に陥ってしまいました。

 

その時の部隊では、「騒音のする場所を見つけたから確認する」と言ったまま戻らず、亡命したものと思われてしまいます。

 

実はその時、北朝鮮軍に身柄を確保されていました。
アメリカ軍は「ジェンキンス氏は恐れをなして亡命した」と結論付けていて、1996年まで「ジェンキンス軍曹の動向は不明」と公式に発表していました。

 

 

身柄を確保されてからから結局、30年近くもの間、北朝鮮に身を置くこととなり、北朝鮮は金日成の言葉を朝鮮語で暗唱させたり、拷問にかけたりしていました。

結果的には英語教師として働かせることとなり、1980年に曽我ひとみさんと出会って1か月ちょっとで結婚することとなりました。

 

 

ジェンキンス氏の生存と日本への入国

*画像出典:ハフィントンポスト

ご存じのとおり、小泉純一郎元総理大臣の日朝首脳会談で拉致被害者が次々に明るみになり、数名、日本に帰国することになります。

 

 

ジェンキンスさんが北朝鮮にいたころの話に戻ります。

 

実は、ジェンキンスさんは1982年頃に、北朝鮮の映画に政府の命令で出ることになりました。

その映画の情報はネット上などには出ていませんでしたが、その出演のおかげで一度はアメリカ政府に生存を確認されることとなりました。

 

しかし、どういう訳かアメリカはジェンキンスさんの生存を認めませんでした。

 

入隊していた軍の掟なのか、何か国策だったのか、亡命したものだと思っていたからなのかはわかりません。

 

結局、それからさらに20年後、日朝首脳会談によって曽我ひとみさんの生存と共にジェンキンスさんの生存も判明

 

しかし、ジェンキンスさんは兵隊から離脱した形になっていたと自分で思っていたため、

なかなか北朝鮮から出国を決意しなかったそうです。

二人の娘さんもいたし、30年も北朝鮮にいたら住めば都になっていたんでしょうね。

 

 

 

結果的に曽我ひとみさんが日本に帰国し、様々な生活の保障も受けれるということからジェンキンス氏を日本に入国させることとなります。

 

2004年、インドネシアで2年ぶりに再会したジェンキンス氏と曽我ひとみさんご夫婦が数年ぶりの対面

 

このシーンは日本全国を感動させたシーンとして今も記憶に残っている人が多いはず。

日本では考えられないキスシーン。曽我さんもまたジェンキンスさんの文化に馴染んで日本から長い年月、離れていたことを連想させました。

 

 



 

北朝鮮を出国したジェンキンス氏、米国により逮捕!

実は、ジェンキンスさん、北朝鮮を出国した際に「逃亡」と「利敵行為」の罪に問われ、禁固刑の処分を受けてしまっています。

 

北朝鮮を出国したのが2004年の7月。
禁固刑を受けたのが2004年の9月。

スピード判決でしたが、ジェンキンスさんは模範囚として予定よりも少し早く釈放されています。

 

*画像出典:朝日新聞デジタル

 

そして釈放されたのと同時に軍人としての職務を全うしたことになります。

(おそらく、軍人として相当な給与をこのときに受け取ったと思われます)

 

その後はジェンキンスさんご自身の母親を見舞うためにお孫さんと渡米し、また、日本に帰ってからは新潟県佐渡島に定住。

2008年には永住権が与えられているようです。

 

 

 

現在のジェンキンスさん

2006年にはジェンキンスさん自身の回想を綴った「告白」という本を出しました。

*画像出典:Amazon

 

2008年には米国版で「逃亡と北朝鮮における40年間の懲役」という本を出版しています。

 

北朝鮮にいる間も軍人としていなくなっていたのですから、給料が発生していた可能性があるし、そうでなくてもアメリカ兵がもらえるべき補償をもらっていると思われます。

 

 

ジェンキンスさん、佐渡島で働いていました。

 

*画像出典:楽天ブログ - 楽天市場

 

ただ、働いていると言っても、観光施設のお土産屋さんらしく、冬季は働いていないそうです。

 

佐渡島と言ったら、冬の寒さは厳しくて観光客は少ないですからね。

夏はたらい舟などが有名です。

 

ネットにもたくさんのジェンキンスさんの写真が挙がっていましたが、厚着している写真はなかったので、冬季以外の勤務は間違いない情報のようです。

 

ちなみに、奥さんである曽我ひとみさんと娘さん2人と一緒に生活しているそうです。

長女の美花さんは保育士、

次女のブリンダさんは酒造会社に勤務しているという情報が2014年の記事で確認できました。

 

現在、二人の娘さんも30歳を超えているので、どこかでご結婚しているかもしれませんね。

 

 

次のページではジェンキンスさんの生前の心境を考察。
2017年12月11日に突然死してしまったジェンキンスさんの生前の様子と死因など。

 

 


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