1997年に「1/3の純情な感情」で大ヒットした実力派ロックバンド「SIAM SHADE」。同曲はその後もカバーされるなど、名曲を生み続けたシャムシェイドは2002年に解散してしまいましたが、その後も数年おきに一時的な再結成を繰り返してきました。 2016年の活動をもって、解散状態にあるSIAM SHADEの今をフォーカスしてみました。 |
SIAM SHADEの結成
SIAM SHADEは東京出身のメンバーで結成されたロックバンド。
メンバーは以下の通りです。
*画像出典:アマゾン
ボーカル【栄喜】
1972年生まれ、本名は今村栄喜。ギター・ボーカル【KAZUMA】
1972年生まれ、本名は遠藤一馬。現在は本名の遠藤一馬で活動しています。ギター【DAITA】
1971年生まれ、本名は伊藤大太(だいた)。ベース【NATCHIN】
1971年生まれ、本名は中川泰。2002年の解散までは「NATIN」名義で活動。
ドラムス【淳士】
1973年生まれ、本名は佐久間淳二。「じゅんじ」の字が本名と活動名義では異なります。
ボーカルの栄喜が中学生の頃から作曲などを行っていて、高校生の頃に「HOT WAVE」という大会で1725人の中から優勝に輝いたことをきっかけにバンド活動を開始します。
1989年に結成された最初のバンド名は「POWER」というバンド名。
現在、SIAM SHADEはロックバンドとして認知されていますが、この頃はビジュアル系バンドでした。
まだ高校生の年齢だったので、その時はまだメンバーの入れ替わりが何度か行われたそうです。
POWERとしての活動をしばらく続けましたが、新メンバー「ATARU」の加入によりバンド名を「atæru(アタール)」と改名。
アタールでは新メンバーのATARUがリーダーを務めていましたが、その後はATARUも脱退。
そして1993年、SIAM SHADEに。
そのころ、パチンコで稼いだ約100万円を使ってデモテープを無料配布するなど、活動は精力的になってきました。
1994年には淳士が加入。
このころになると、ライブでもファンが多く、一部で人気のあるバンドに成長しています。
インディーズで1stアルバム「SIAM SHADE」をリリースすると、インディーズチャートで初登場2位を記録。
1997年に大ブレイクしますが、実は1994年のインディーズデビュー以来、渋谷公会堂でワンマンライブをするなど、ブレイク前から人気は高かったそうです。
「1/3の純情な感情」で大ブレイク
*Youtube
SIAM SHADEと言えばこの曲。4分20秒あたりから。
「1/3の純情な感情」はアニメ「るろうに剣心」のエンディングテーマに採用されて大ブレイクを果たしました。
実はこの曲、SIAM SHADEにとって6枚目のシングルでした。
それまでも4枚目のシングル「RISK」がテレビドラマのエンディングに採用されて、知る人ぞ知るロックバンドでしたが、この「3分の1の純情な感情」はオリコンチャートで3位を記録するほどの大ヒットだったし、この曲でブレイクしたので音楽番組「HEY!HEY!HEY!」に出演したりメディアに取り上げられるようになったんです。
さらに、現在に至るまでもこの名曲を以下のアーティストがカバーしています。
・嘉門達夫 ・柿原徹也 ・Alice ・Acid Black Cherry ・FLOW ・BLiSTAR ・Buono! ・Kylee |
など、2007年以降は調べただけでも17のアーティストにカバーされていました。
シャムシェイドはこの大ブレイクをきっかけに翌年1998年にリリースした「グレイシャルLOVE」も大ヒットさせるなど、日本を代表とするロックバンドとして成長していきました。
以降、「Dreams」「曇りのち晴れ」「1999」「Life」「アドレナリン」など、メジャーデビューから合計17曲ものシングルをリリース。
*「Still We Go」は解散後の2013年に発表。
ブレイクしてからはほとんどの楽曲でオリコンチャート上位を記録していましたが、2002年に突然の解散を発表してしまいます。
2002年にSIAM SHADE解散。本当の理由とその後
SIAM SHADEは、2001年の年末に念願だった日本武道館での初めてのライブを行いました。
その数日後、2002年の始め、突然に解散の発表を行います。
解散理由については色々とネット上で理由がささやかれていましたが、SIAM SHADEのあるメンバーから直接「仲悪いから。夫婦の喧嘩みたいなもん」という話を聞いた方がブログに書いていました。
のちにボーカルの栄喜は「僕がやんちゃだったから」と解散理由を述べています。
音楽の方向性という言葉が良く使われますが、シャムシェイドに関しては、海外でやりたいメンバーもいれば国内でもっと活躍したいというメンバーもいて、考え方がそれぞれ違ったそうです。
また、不仲説が囁かれていますが、それも概ね事実だそうです。
ただ、SIAM SHADEはバンドのメンバー一人ひとりが実力が高いとして有名です。解散後もシャムシェイドとしてライブを行っていましたし、割り切っていたのかもしれませんが、現在はバチバチってほど仲が悪いわけではなさそうです。
他のアーティストのサポートとしてギターもベースもドラムもやっていけるという判断のもと、解散したとも噂されていました。
とにかく、「伝説的なロックバンド」とも言われるSIAM SHADEの解散は、かなり衝撃的で、解散ライブ(2002年に日本武道館で行った)は15000人も動員し、惜しまれながら解散しました。
解散後
SIAM SHADEは解散後、各メンバーは音楽業界から離れることなく、それぞれが音楽関係の仕事をしています。
【ボーカル・栄喜の解散後】
2003年、ACIDというロック調のミクスチャーバンドを結成しました。
SIAM SHADEのメンバーはいなくて、大介、遊汰、誠一郎、賢友、淳平、昌満などのメンバーが在籍していたバンドですが、こちらもメンバーは入れ替わりが激しかったようです。
栄喜はJ-ROCKという比較的大手の事務所に所属していたものの、2008年にその事務所を辞めるのと同時にACIDは解散。ACIDの音源はオリコンチャートで最高でも100位に届かず、あまりうまくいきませんでした。
ちなみに、ACID時代は未来(読み:ひでき)という名前で活動していました。
ACID解散前となる2007年には「DETROX」というロックバンドも結成していて、こちらは3人組のバンド。
その後は活動休止中という形ではありますが、解散はしていません。
ただ、WEBサイトは閉鎖されています。
そして栄喜は現在、ソロで活動を開始しています。
栄喜の公式サイト→http://www.hidekixxxrock.com/pc/news.html
スケジュールを見ると、かなりの数のライブ活動を行っているようですので人気はシャムシェイド時代ほどでなくとも多くのファンに支持されていることが分かります。
栄喜のインスタではほとんど近影は見れませんが、ライブ情報など発信されています。
【ギター・KAZUMAの解散後】
KAZUMAは解散後にVivian or Kazumaというバンドを結成します。
もともとSIAM SHADEのボーカルを栄喜と一緒に担当していただけあって、歌唱力も高いのでファンはKAZUMAの活動には注目していたそうです。
しかし、Vivian or Kazumaではヒットには恵まれませんでした。
その後、2007年にはFifty50/50Fiftyというバンドを結成。
残念ながらこちらもヒットしていません。
それでもKAZUMAのギターの実力は非常に高いので、土屋アンナやDAMIJAW(Janne Da Arcのベース)など大物アーティストのサポートギターを務めています。
【ギター・DAITAの解散後】
実力派ギタリストDAITAは解散後、韓国映画「火山高」のサウンドトラックを手掛けます。
SIAM SHADEのメンバーの中でも、ソロ活動で最も才能が評価されているギタリストで、解散後はソロアルバム「EUPHONY」をリリースするなど、精力的に音楽活動を行ってきました。
また、氷室京介には「めちゃくちゃ上手くてカッコいい」と、絶賛されています。
氷室京介の他にも、海外のアーティストや日本の大物アーティストとのコラボを何度も実現。
日本でも有数の天才ギタリストとして名を馳せています。
【ベース・NATCHINの解散後】
SIAM SHADEの初期メンバーであり、リーダーとしてバンドをまとめていたNATCHIN。
解散後は、ベーシストとしてソロ活動を開始しました。
NATCHINもまた、ベースの天才と言われており、ソロ活動はTHE YELLOW MONKEYなどの大物バンドと音楽活動をしています。
5弦ベースも使用するほどのテクニシャンで、吉川晃司や相川七瀬のバックバンドも務めています。
SIAM SHADEとして活動していた1999年に女優の伊藤かずえと結婚していますが、2013年には離婚しました。
【ドラム・淳士の解散後】
解散後はほとんどドラムで他のアーティストのサポートとして活動しています。
といっても、ほとんどAcid Black CherryやT.M.Revolutionなどの大物アーティストばかり。
T.M.Revolutionの西川貴教とはSIAM SHADE時代からの仲で、古くから交友があったこともあり、バックバンドとしてライブなどにも参加しています。
その他にもGACKT、Janne Da Arc、ラルクのHYDEのソロ活動、ソフィアの松岡充とのユニットに参加するなど、日本を代表するドラマーとして活躍。
音楽活動以外では、2016年に公開された「トイレの花子さん新章~花子vsヨースケ~」でジョーという人物役で役者として出演しました。
SIAM SHADEの現在
解散後は、SIAM SHADEのメンバーはそれぞれ、ソロ活動もしくはバンドやグループを結成して音楽活動を続けていました。
前述したとおり、SIAM SHADEはバンドのメンバーひとり一人の実力が非常に高いとして有名です。
現在も基本的にはそれぞれがソロでサポートという形で他のアーティストの活動に参加したり、新しいバンドを作って活動している状態です。
それでも解散後はSIAM SHADEとして再結成を何度かしています。
・1993年~2002年
大ヒット後は2002年まで活動。・2007年
活動期のチーフマネージャーだった中村新一さんを追悼するため一夜限りの再結成。
1万3500人を動員するライブを敢行する。・2010年
デビュー15周年を記念してアルバムをリリース。・2011年
東日本大震災の復興支援ライブを開催。Zepp 仙台ではチャリティーライブを開催するなど、この時も一時的に再結成。・2012年
SIAM SHADEとしてアルバムをリリース。・2013年
再々再結成を発表。実質4度目の結成となる。・2015年
再々々再結成として、さいたまスーパーアリーナでライブを行う。5度目の結成。・2016年
日本武道館で「20th Anniversary year 2015-2016 最終公演」を行い、SIAM SHADEとしての活動を完結。
と、このように何度も再結成をして短期もしくは単発で活動をしているSIAM SHADE。
ライブパフォーマンスもかなり評価が高く、多くの名曲を生み出しているので、20年以上経った現在も多くの支持を集めています。
2011年の再結成時のライブ映像では高いクオリティーを感じますね。
4度の再結成(最初の結成を含めて5度の結成)を行っていますが、今後も短期的な再結成の可能性がありそうです。
SIAM SHADEは最初の結成当時、「ロック界のドリフターズ」を自称しており、ツアーでショートコントムービーを作っていたほど、笑いもとったりしていました。
ライブがファンから支持され続けるのも、そういう「観客を楽しませる」目的が浸透していたから。
ファンを大事にするSIAM SHADEだからこそ、今後も一時的でもいいので再結成を期待したいですね。