本名『マルコス・エバンジェリスタ・デ・モラエス』。

右サイドの支配者】という異名でも呼ばれており、サッカーブラジル代表として長く活躍していた選手です。

ブラジル代表としてワールドカップに4度出場しており、そのうちの優勝2回、準優勝1回という輝かしい成績を残しています。

 

カフーの活躍

【ブラジル代表での活躍】

 

1990年に【ジョルジーニョ】の後継者として期待され、1990年のスペイン戦で代表デビューをしています。

代表デビューを果たしてから4年後の1994年のワールドカップの決勝では、怪我で負傷してしまったジョルジーニョと交代し、ブラジルのワールドカップ優勝に貢献。

 

ジョルジーニョとの交代では、カフーで大丈夫かという声が多かったが、ジョルジーニョに劣らない活躍を見せ、新たな世界最高の右サイドバックとして認知されていきました。

 

その後は、1998年、2002年、2006年とブラジル代表のスタメンとして出場しています。

 

2002年、日韓ワールドカップの決勝戦のハイライトです。

2002年に優勝という成績を残し、次に迎えた2006年のワールドカップ。

自身の代表としての最後のワールドカップでしたが、フランスと準々決勝で対戦し、フランスの堅い守備に中盤が封じられてしまいます。

 

そのため、パスコースを見つけ出すことができずに相手にボールを奪われてしまうというシーンが目立ってしまいました。

 

それ以降は、カフーの年齢のことも関係して代表に招集されることはありませんでした。

 

1990年から2006年まで16年間ブラジル代表として活躍し、ブラジル代表での試合出場は、142試合とブラジル代表の中でも歴代最多記録の持ち主です。

 

 

【クラブでの活躍】

 

カフーは、18歳の時に【サンパウロFC】に入団し、サイドバックとして起用されていきました。

【サンパウロFC】では、1993年のトヨタカップ優勝に貢献し、その活躍で1994年からは【レアル・サラゴサ】に入団している。

だが、【レアル・サラゴサ】では目覚ましい活躍ができず、1995年には【SEパウメイラス】に移籍している。

 

1997年からは、【ASローマ】に移籍し、ローマの約18年ぶりのスクデット制覇にも主力として貢献した。

 

2003年には、ローマを脱退し、横浜Fマリノスへの入団の同意があると言っていたが、最終的には横浜Fマリノスに違約金を支払い【ACミラン】へ行くことが決定した。

 

カフーは、【ACミラン】入団後すぐにレギュラーを勝ち取り、主力と変わらない働きを見せ、スクデットなどにも貢献していた。

同じ年、ペレの選ぶ『FIFA 100』という偉大なサッカー選手の100の中の一人に選ばれています。

*出典元:ウィキペディア

ACミランに入団してからは、UEFAチャンピオンズリーグのタイトルは獲得できずにいたが、2006~2007年のシーズンで見事チャンピオンズリーグでの初の栄冠に輝いています。

 

そして、その翌年のシーズンでACミランとの契約が満了ということでACミランを退団し、現役を引退しています。

 

 

カフーは引退後に財団設立

選手として現役で活躍している最中にカフー財団を立ち上げていました。

2001年より活動を始めているカフー財団。

 

その内容は、貧しい子供たちにスポーツを通して健全育成を行ったり、職業訓練施設を運営したりしています。

 

自らの故郷の子供たちの為に活動しているなんて選手としても素晴らしいですが、人としても素晴らしいですね。

 

チャリティーマッチなどにも積極的に出場

カフー財団を今もなお続けているカフーですが、他にもチャリティーマッチに出ていたりしています。

2011年には、東日本大震災のチャリティーマッチとして、リオデジャネイロのビーチでビーチサッカー日本代表とブラジル代表の試合にも参加していました。

 

このチャリティーマッチには、カフーだけでなくかつて日本でもプレーしていたアルシンドやロナウドも参加していました。

 

2017年には、【コラソン・クラシック・マッチ】というチャリティーマッチにも参加しています。

今回で8回目を迎えたこのチャリティーマッチ。

 

カフーは、【ASローマ・レジェンズ】のチームで出場していました。

このチャリティーマッチの収益金は、アフリカの【レアル・マドリード・ファンデーション】というプロジェクトに活用されるようです。

 

チャリティーマッチに積極的に参加しているカフーですが、CMやスポーツ番組といったテレビ出演もしているようです。

 

2015年に出演したテレビ番組では、ネイマールに関して厳しいコメントを発言していましたが、2016年にはブラジルで最高の選手だと評価し、ネイマールの成長を喜んでいました。

 

2019年、息子のダニーロさんが目の前で突然死

ブラジルでは大きく報道されましたが、カフーの息子、ダニーロさんがサッカーで遊んでいた時に突然死したそうです。

冠動脈疾患を患っていて、数日後に手術予定だったダニーロさん。

カフーを含め、友人たちと一緒にサッカーで遊んでいたところ、突然に昏睡状態になってしまい、カフーが抱き上げている最中に息を引き取ったとの事。

 

悲しみのニュースは大きく報道され、その後もカフーはこの件に対して度々取材を受けており、笑顔で話すことは一度もありません。

 

2022年のカタールW杯では親善大使に

カフーは、カタールW杯で親善大使に任命されています。

グループリーグを決定する抽選会でも日本の放送で久々にテレビに出ていました。

カフーが登場して視聴者があがるなんて、やはりスーパースターです。

 

カフーの現在は借金王?

ブラジルのメディアがカフーが借金を抱えていることを報じました。

カピ・ヘンタ インターナショナルスクール」という多くのサッカー選手が在籍するクラブチームを運営していたカフーですが、2019年に破産したことが報じられました。

負債額は数億円(一部では2億円以上と報道)にもおよび、毎月500万円の返済が必要だとメディアに語っていました。

 

その後、結局スポンサーの撤退は続き、借金が残り、カフーが築いた豪邸も競売にかけられます。


実際に売却されたかどうかは不明ですが、プールだけでなくサッカーコートまでついている豪邸。

売れなくても値段を下げれば確実に売れそうですので、カフーの抱えている借金は返済されているかもしれません。

 

温厚で笑顔を絶やさないカフーですが、最近はメディアの前でも笑顔が亡くなってしまっている様子。
悪いことをしたり、ギャンブルをしたわけではなく、サッカーのために尽力したのに、この結果は残念です。

何とか以前のカフーになってもらいたいものですね。

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