フィリップ・トルシエとは

フランス出身のサッカー選手でパリの【ASフレヌ】というクラブに所属していました。

その後、【RATP(パリ交通公団)】が運営している【USメトロ】に所属し、ここには13歳から19歳まで所属していました。

RATPの専門学校にも進学しており、専門学校卒業後は、RATPに就職しています。

 

自動販売機のメンテナンスの仕事をしながらアマチュアクラブでプレーし続けており、プロサッカー選手になるという夢を追いかけていました。

その後、2つのアマチュアクラブに所属しましたが、1976年に当時【アングレーム】の監督を務めていた『アンリ・スキバ』にスカウトされたことでアングレームと契約しています。

 

しかし、翌年の1977年にスキバが監督を退任し、次に就任した監督とそりが合わなかった為、『ロジェ・ルメール』が監督を務めている【レッドスター】に移籍しています。

 

レッドスターが経営難に陥ってしまったことでプロとしての死角を失ってしまいましたが1978年に【ルーアン】に移籍しています。

ルーアンでは、79試合に出場し、8得点を挙げています。

 

選手としても活躍しながらも勉強をしており、1981年に運動療法士の資格も取得しています。

資格を取得した同じ年にルーアンから【スタッド・ランス】に移籍しましたが、1983年に初級の指導者ライセンスを取得し、U-15フランス代表の指導者に選ばれたため、現役を引退しています。

 

 

サッカー選手引退から指導者へ

U-15のフランス代表の指導者に選ばれたことで現役を引退し、指導者の道に進んでいるトルシエさんですがU-15のフランス代表の指導者を1年間務め、1984年にはフランスの4部リーグのアマチュアクラブ【アランソン】の監督に就任しています。

 

3年間アランソンの監督を務め手腕を振るっていましたが、1987年には自身も所属していた【レッドスター】の監督に就任しています。

フランスの3部リーグに所属していたレッドスターを2部に昇格させ、日本代表時代にも使用したシステムの【フラット3】のベースはこの時代に出来上がっています。

 

レッドスターからは監督続投を要請されていましたが【USクレテイユ】からのオファーがあったことでUSクレテイユの監督に就任しましたがわずか3カ月で監督を退任しています。

 

その後は、コートジボワール南アフリカモロッコなどのクラブの監督を務め、1997年にはナイジェリア代表の監督を務めていた人物が成績不振で解任されたことで後任としてナイジェリア代表の監督に就任しています。

 

ナイジェリア代表の監督に就任しましたが約6カ月で解任され、同じ年にブルキナファソ代表の監督に就任しています。

弱小だったブルキナファソ代表をアフリカネイションズカップで格上相手に勝利し、アフリカネイションズカップで4位という成績を残しています。

 

 

そして、ブルキナファソ代表の監督を退任し、フランスワールドカップ本選を控えている南アフリカ共和国代表の監督に就任しましたがフランスワールドカップでは2分1敗ということでグループリーグ敗退となり、退任しています。

 

 

 

日本代表監督に就任

南アフリカ共和国代表の監督を務めたフランスワールドカップ終了後にサッカー日本代表の監督に就任し、オフト監督、ファルカン監督に次ぐ3人目の外国人監督になっています。

 

A代表とU-21の代表の監督を兼任しており、バンコクアジア大会にU-21代表を率い挑みましたが二次リーグ敗退となっています。

1999年にはU-20代表の監督を兼職し、FIFAワールドユースナイジェリア大会では準優勝という成績を残していますが、その後の五輪出場を決めていますが思うような成績を残すことができませんでした。

 

五輪代表をA代表を合流させ、カールスバーグカップでメキシコに敗北し、香港リーグ選抜と中国に引き分け、韓国に敗戦とあまり良い成績を残すことができませんでした。

トルシエ監督解任という噂が囁かれましたがその後、前回ワールドカップの王者フランスに引き分け、ジャマイカに大勝。

 

代表監督も2年という契約で次の監督もベンゲルに決まっていましたがベンゲル側の事情でトルシエ監督続投となったようです。

 

監督続投となった2000年には圧倒的な攻撃サッカーを見せつけ、AFC年間最優秀監督を受賞しています。

 

2002年には、日韓ワールドカップで中村俊輔を代表から外し、話題を呼んでいましたがグループリーグを1位通過しましたが、決勝トーナメント1回戦でトルコに敗北し、ワールドカップ終了後日本代表監督を退任しています。

日本代表監督退任以降

日韓ワールドカップ終了後、日本代表の監督を退任しています。

フランス代表の監督の最終候補にまで残っていましたが、フランス代表の監督になりませんでしたが、2003年にカタール代表の監督に就任しています。

 

カタール代表を率いていましたがアジアカップ初戦でインドネシアに敗北してことで監督を解任されています。

 

翌年2004年にヴィッセル神戸から監督のオファーが届いていましたがフランスのマルセイユからオファーが届いたことでマルセイユの監督に就任していますがUEFAチャンピオンズリーグとUEFAカップに出場できず、監督を解任されています。

 

2005年にはナイジェリアの代表監督に就任することで合意されていましたが膝の手術の為これを辞退していますが同じ年にモロッコ代表の監督に就任していますがわずか2カ月で解任されています。

 

2007年には、FC琉球の総監督に就任しており、2008年まで務めていました。

2009年には母国フランスから国家功労勲章シュヴァリエを受賞。

2010年位は日本の観光庁からスポーツ観光マイスターに任命されています。

 

2009年、2010年と監督として活動していなかったトルシエさんですが、2011年に中国サッカースーパーリーグの深圳紅鑽の監督に就任し、2013年まで務めていました。

 

2014年にはチュニジアのCSスファクシアンの監督に就任していますが2カ月で解任されています。

 

その後は再び中国サッカースーパーリーグに戻り、岡田武史も監督を務めた杭州緑城足球倶楽部の監督に就任しています。

ですが、思うような結果を残すことができずに2015年には成績不振で解任されています。

 

 

トルシエ監督の現在

*出典元:Twitter

杭州緑城足球倶楽部の監督を解任されて以降は、2017年に中国サッカースーパーリーグの重慶当代力帆足球倶楽部のスポーツディレクターに就任しています。重慶当代力帆足球倶楽部のユース世代の育成システムの確立を担う立場となっていました。

 

2018年には「ベトナムサッカー選手才能育成基金」であるPVFフットボールアカデミーの常勤顧問に就任。
ベトナムの選手育成を任されるようになると、

2019年にU-19のベトナム代表の監督に就任します。

2020年にはPVFフットボールアカデミーの常勤顧問を退任して、2021年5月いっぱいで契約満了に伴い、U-19のベトナム代表監督を退任しました。

 

その後はフランスに帰国していたのですが、2023年2月にベトナム代表監督に就任!
さらにU-23のベトナム代表監督も兼任。

 

ベトナム代表監督として、評価される結果を残すことが出来ずに2024年3月26日に代表監督を解任されています。
なお、後任には韓国のキム・サンシク氏が選ばれています。

 

トルシエ監督の現在は、フランスにいるようです。
2024年は、インド代表の監督にも名前が挙がっているなど、オファーを待ちながらコメンテーターなどの仕事をしているようですが、いつどこかの監督になってもおかしくない人材。
また、近いうちにサッカー関係の仕事をスタートすると思われます。

 

また、監督業の傍らでは、ワイン作りもしているようです。

ワイン作りは2014年から始めているようで畑まで購入していました。

歴代の日本代表の監督とも一緒にワインを楽しんだりしていました。

 

トルシエ監督のワイン、ソルベニの公式Twitterはこちら。

 

 

ついでに・・・

トルシエ監督の通訳のダバディの現在

*出典元:Naverまとめ

トルシエ監督の通訳を務めており、トルシエ監督といつも一緒にいました。

父親は、『ジャン=ルー・ダバディ』という作家、作詞家でフランスではかなり有名な人物です。

トルシエ監督の通訳としてサッカーにも熱狂的なダバディさんですが、現在はテニスや自転車ロードレース、サッカーのキャスターやコメンテーターとして活躍しているようです。

 

ダバディさんのTwitterはこちら。

ダバディさんのインスタグラムはこちら。

 

通訳時代から激やせしているダバディさん。

トルシエ監督の通訳をしている時と比べると痩せているので病気という噂もありましたが、病気ではなくスポーツ選手並みの栄養コントロールをしている為、痩せているようです。

 

トルシエさんもダバディさんも元気に過ごしていました。

トルシエさんはワイン作り、ダバディさんはスポーツコメンテーターとして活動していました。

2人も歴代日本代表の監督と交流があるようなのでまた再びテレビで見れることを期待したいですね。

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