現在も記憶に新しい日本代表の黄金時代のサイドバックと言えば三都主ですよね。
駒野や加地なども同世代のサイドバックでしたが、代表戦での出場試合数が多い三都主は今もサッカーファンの記憶に残っている選手。
今はJリーグにいないみたいだけど、どこで何をしているのか、、三都主の現在をフォーカスしました。
24歳で帰化した元ブラジル人
*画像出典:栃木SC
ブラジルのパラマ州マリンガ市の出身。
マリンガは兵庫県の加古川市と姉妹都市ですが、それとは関係なく高知県の明徳義塾高校に留学することになり三都主が16歳のとき初来日しました。
もちろんサッカーでの留学で明徳義塾に入学しています。
明徳義塾と言えば高校野球の名門ですが、サッカーも全国大会に何度も出場するなどサッカーも名門。
さらに明徳義塾は県外・海外から入学した生徒が約70%を占める人気の高校です。
しかし、明徳義塾高校時代は県予選を1度も突破することなく全国大会には出場しておらず、無名の選手でした。
清水エスパルスに練習生として参加。プロ生活のスタート
高校卒業後進路は決まっていませんでしたが、明徳義塾高校のサッカー部の監督の紹介で清水エスパルスの練習に参加。
そこでセンスを認められて1997年、19歳の時に正式に加入が発表されました。
他の外国人選手が3人も清水エスパルスにはいたため、戦力としてあまり考えられていませんでしたが、相次いで外国人選手が故障したこともあり1年目からリーグ戦に出場できるようになります。
こうした運も味方につけて実力を発揮した三都主。
フォワードなどいろんなポジションを経験して3年目となる1999年のシーズンは本職である左アウトサイドに定着。
そしてその年、史上最年少の22歳でJリーグ最優秀選手賞を受賞し、一気にスター選手となりました。
2001年から日本人。日本代表になるために帰化した三都主
24歳の頃、2001年11月、ついに日本人として帰化申請が認められました。
その4か月後、2002年3月のウクライナとの親善試合で日本代表デビュー。
その年のW杯にも選出。トルシエ監督の元、サイドバックだけではなくウイングなどでも出場して、日本代表では合計で82試合に出場、7得点というまずまずの成績を残しています。
帰化して「三都主」という名前は「生まれ故郷のマリンガ、明徳義塾高校時代の高知、プロデビューした清水」の3つの都市を大切に思う気持ちからこの漢字になったそうです。
代表戦での君が代を熱唱する事でも有名だった三都主。日本に対する愛国心もすごいですね。
2015年に家族とブラジルへ。現在の三都主!
2004年に清水エスパルスから浦和レッズに移籍。
その時の移籍金が当時の国内最高額となる(推定)3億8000万円と言われています。
浦和でも当時の日本代表でも結果を残し続けて、2007年には期限付きでザルツブルクにレンタル移籍。
しかし、ザルツブルクではあまり結果は残せず、2008年に浦和に復帰します。
その後は2009年に名古屋グランパスへ。
名古屋でも色んなポジションで活躍できたのですが、2012年には契約満了により退団。
その後、トライアウトを受けて栃木SCに。2014年にはFC岐阜に移籍してJリーグでの活躍はここで終了。
現在まで三都主の大きなニュースは出ていませんが、その後、2015年にはブラジルに帰って故郷であるマリンガのサッカーチーム「グレミオ・マリンガ」に所属します。
実は日本を離れて現役を終わるつもりだった三都主。
それでも、マリンガのチームから「選手として出てください」とお願いされたことでブラジルでサッカー選手生活がスタートしました。と言っても、日本に来る15歳まで、マリンガのユースチームで選手として活動していましたが。
グレミオ・マリンガはパラナ州の3部チームでありながら、21600人を収容できるスタジアムを持つ割と大きなチーム。
しかし、所属期間はたったの3か月。
元日本代表でありながらブラジルの地方のクラブチームであまり目立った活躍はできませんでした。
2016年からはパラナ州にある「パラナ・サッカー・テクニカル・センター」に所属。
変わった名前ですが、れっきとしたクラブチームの名称です。
そこで少しプレーしそのままサッカー選手として終止符を打ちました。
パラナ・サッカー・テクニカル・センターで選手の支援活動
現在は引退時に所属していたパラナにあるクラブチームで、選手の支援活動を行っています。
国籍は日本とブラジルの二つの国籍を所有していて、奥さんと子供もパラナ州・マリンガで一緒に生活しているようです。
パラナサッカーテクニカルセンターはもともと、地元のお医者さんや弁護士さんたちがお金を出し合って設立したクラブチームで、クラブチームとして大会や試合に出ていますが、選手の育成に力を入れています。
ガンバ大阪で活躍したビタウなど、育成した選手を海外のクラブチームに転売するというのが目的です。
三都主もそこで育成に携わっていて、2017年7月にはマリンガの姉妹都市である兵庫県加古川市で平岡中学校で指導をするなど、活躍中。
(元日本代表でレッズ時代のチームメートであった鈴木啓太の引退試合のために来日)
今後もパラナサッカーテクニカルセンターで技術力のあるサッカー選手をどんどん日本に紹介していって欲しいですね。
2016年の年末から三都主サッカーアカデミーを開始
現在、三都主アレサンドロの最も精力的な活動のひとつに、三都主サッカーアカデミーというアカデミーの運営(実質のオーナー)があります。
この動画とは別の、週刊誌の取材では、「監督になりたいと思い、日本でB級ライセンスを取得した。監督になることをあきらめた訳ではないが、世界で通用する選手を育てたいという別の夢があった」と答えており、それが、パラナサッカーテクニカルセンターでの選手の支援と、三都主サッカーアカデミーの設立に繋がった訳です。
取材のあった2022年時点でも、17歳までの300人の選手が在籍しており、ブラジルのトップチームに16名も輩出したと語っています。
ただ、2021年はコロナで運営が大変だったらしく、クラウドファンディングをして資金を集めている様子も・・・
元FC岐阜、そして元日本代表の三都主さんがブラジルの故郷マリンガで300人の子供達を抱えるサッカーアカデミーを運営していますが、コロナ禍で困難な状況になっています。クラウドファンディングに参加して三都主さんを応援しましょう! pic.twitter.com/qsTBzWW26E
— Kaz Photography (@_kazphoto) August 31, 2021
このクラウドファンディングでは、残念ながら目標金額に達することはなく終了してしまいましたが、それでも三都主サッカーアカデミーは順調に事業を進めていっています。
現在の三都主は、不動産で充分な収入が!
三都主はブラジルでアルコというプロのクラブチームのCEOも務めています。
三都主サッカーアカデミーで上手く連携しており、優秀な選手が多く在籍しているようです。
アルコは2021年にブラジルの州3部(日本で言えば、県3部リーグや都3部リーグのような位置づけ)からスタートして、現在は州1部になっています。
ここで優勝して入れ替え戦(調査したところ入れ替え戦があるかは不明。ただし、各州での優勝チーム同士の対戦はある模様)で勝ちあがれればブラジル3部リーグという、日本でいうところのJ3に昇格することが出来ます。
ブラジルは日本よりも人口が多い上にサッカーの熱も非常に高いため、州1部にチームが在籍するだけでも凄いことです。
ただし、三都主は、オーナーという立場であるものの、クラブの報酬はゼロ。
スポンサーや選手の移籍金などで収益は上がっていますが、無報酬で事業を運営しています。
ただ、ブラジルの地元近隣に、不動産をいくつか所有しており、不動産収入が十分にあるとのこと。
投資家として成功している一面も見られており、クラブチームも成功しそうな気がしますね。
現在も日本語が堪能な三都主。
今後もサッカー関係で来日することも多々あるでしょうが、日本サッカーに貢献してもらいたいですね。