1999年に「あの紙ヒコーキ くもり空わって」という曲でブレイクした19(ジューク)。
歌手グループとしては珍しく数字だけのグループ名でしたが、当時の若者の間では絶大な人気を誇っていました。今回は、そんな19のメンバーである岡平健治、岩瀬敬吾、326(ミツル)の現在をフォーカス。以外にも成功している今をご覧ください。

 

あの頃の19の歌手活動とメンバーについて

*画像出典:Twitter

ボーカル・ギター・ハープを担当する岡平健治と、ボーカル・ギターを担当する岩瀬敬吾のデュオ。

1998年、19歳になる岡平健治と岩瀬敬吾にイラストレーターと作詞を担当する326(ミツル)の3人で結成されたのですが、のちに326はジュークを脱退しています。

 

 

あまり知られていませんが、19は岡平健治が高校時代から路上ライブなど音楽活動を行っていて、高校3年生のころにティーンズミュージックフェスティバルで岩瀬敬吾と知り合い、少年フレンドというユニットで活動していました。

 

少年フレンド時代は、広島、大阪などでライブを行っており、そこそこの人気はあったため、高校を卒業するとそのまま上京。

上京したその年に、自分の書いた詩で曲をつくるミュージシャンを探していた326と出会います。

そして高校卒業して1年目には19を結成

 

326は岡平と岩瀬の1学年上ですが、19歳になるころに結成されたので19というグループ名になったと音楽番組で語っていました。

 

高校を卒業してからとんとん拍子でデビューすることになった19は、1999年に「あの紙ヒコーキ くもり空わって」が大ヒット。

この曲は、TBSテレビの1999・春のキャンペーンソングに起用されたことがきっかけで売れましたが、売れ始めてから「うたばん」や紅白歌合戦などに出場したことによりさらに売り上げを伸ばして20週連続チャートインという快挙を達成し、ロングヒットとなりました。

 

デビューからわずか1年で紅白歌手となった19。

その後にリリースした「すべてへ」も爆発的なヒットを記録してオリコンチャート1位にもなっていますし、さらにその後、「水・陸・そら、無限大」はシドニー五輪の公式応援ソングに起用されて、この曲では2度目の紅白歌合戦出場を果たしています。

 

「あの青をこえて」のデビュー曲は不発に終わったものの、その後に前述の「あの紙ヒコーキ くもり空わって(1999年)」から、2002年に「蒲公英―たんぽぽ―」までほぼ全てをヒットさせたのですが、人気絶頂の中、2002年の3月31日に解散することとなりました。

 

 

19が解散した理由

2002年の2月に突然解散宣言を行い、ファンを驚かせ、3月31日には解散してしまいました。

326に関しては、イラストレーターとして19のメンバーに入っていたので音楽番組に出演することも少なくなり、事務所の意向で活動中から徐々に姿が見えなくなっていました。

 

実は解散の理由は本人たちも語っていますが、本人たちが語る理由が解散時とその後では違っています。

 

【2002年解散したときの解散理由】

・岩瀬敬吾「お互いの音楽性を尊重するため」
・岡平健治「大人たちへの報復」

解散時は音楽性の違いを理由にしていたので不仲説などが飛び交いましたが、大人たちへの報復ということは事務所の原因も指摘していて、人気絶頂のさなかでの解散はいろんな噂がありました。

 

 

【解散後、数年経ってからの解散理由】

・事務所とのトラブル(2013年に放送された「1番ソング」での岡平健治の発言)
・健治は仲間ですし、あいつのことを悪く言われたら腹も立つ(岩瀬敬吾)

数年経ってからの解散理由はお互いの音楽性の違いではなく、事務所とのトラブルが原因で不仲ではなかったということになっています。

 

こちらが、2013年にテレビで出演した時の様子です↓

*画像出典:niconico動画

19の岡平健治と岩瀬敬吾は、高校時代からの付き合い。

東京で19を結成する前から岡平健治は岩瀬敬吾に作った曲を聞かせたり、離れていても連絡を取り合うなどブレイクする前から仲良しでした。

 

1998年に19が結成されて、2002年に4年の活動期間を経て解散する流れとなりましたが、現在も連絡を取り合う仲のようです。

 

となると、2002年の解散の理由は、不仲が原因ではないかと思われますが、時間が経って今語られる解散の理由を整理すると、

事務所に不満がありながら活動を続けて一時的に仲が悪くなったものの、解散後に仲直りをした

という可能性が高そうですね。

もちろん、憶測に過ぎませんが、事務所とトラブル起こしても仲が良ければ解散する理由はないわけですから。

 

 

19の活動時の収入も解散への引き金に?

2013年には、326(ミツル)はTBS系の「東野・有吉のどん底」という番組に出演しています。

 

その時、人気絶頂時の給料が10万円しかなかったということを激白。

 

のちに、岡平健治も「ブレイク時の収入は月収10万円。当時住んでいた自宅は家賃1万3千円だった」と語っていました。

 

326は事務所の意向で脱退させられてしまうのですが、4年間の19での活動の途中で固定給の10万円から「固定給+歩合制」に変更してもらい、岡平健治と岩瀬敬吾にはいきなり5000万円もの大金が入ってきたそうです。

 

給料が10万円から5000万円になったことで、逆にこれまで貧しい思いをさせられていたのかと思うと事務所に対する不信感もあったでしょうし、326の強制脱退なども含めて19を解散するという決断に至ったのかもしれません。

 

他にも、岡平健治は19で活動しながら他のバンド(3B LAB.☆)でも活動していたこともあり、自身のやりたい音楽は、3B LAB.☆の方が事務所の介入もほとんどなく実現するだろうという目測もあったかもしれません。

 

ということで、解散理由は事務所への不信感と一時的な不仲であると思われます。

 

それでは、解散後の19のメンバーの現在を見ていきましょう。

 

 

元19、岡平健治の現在

岡平健治は広島県出身ですが、父親も吉田拓郎などとも共演をしたことがあるほどの知る人ぞ知るミュージシャン。

子供の頃から音楽の才能があったらしく、中学の頃にはいくつもの賞を受賞し、高校生の頃には地元広島のラジオ番組で準レギュラーとして活躍していたほど。

 

高校卒業し、すぐにブレイクしましたが、19の解散後は3B LAB.☆(スリービーラボ)でボーカル・ギターを担当して活躍しました。

 

前述の通り、3B LAB.☆は19で活動している2001年に結成されたバンドで、岡平健治は19は事務所の意向が強く音楽に影響したため、3B LAB.☆で自分の音楽を表現したいと思っていたようです。

 

そして、3B LAB.☆はバンドとしてヒットしています。

観客の盛り上がりからも分かるように、人気があるのが分かりますね。

 

実際に全国ライブなども行っていたり、9枚のシングル、6枚のアルバムをリリース。

 

現在は音源のリリースは2012年のアルバム「運命」以降はありませんが、解散はしていません。

 

 

ロックフォードレコードの設立

岡平健治は2010年に3B LAB.☆で活動しながら、ロックフォードレコードという事務所を設立しました。

(2009年に47都道府県全国ツアーを行って引退することを宣言していましたが、2010年にこのレコード会社を設立後もバンド活動は行っています。)

 

ロックフォードレコードは設立後には2013年にライブハウス「MELODIA Tokyo」を東京都中野区にオープン。

また、2014年には、MELODIA Tokyoから徒歩5分の位置にMusic Bar「星屑と三日月」をオープン。

 

レコード会社という型にハマった枠だけではなくて、いろんな事業を展開するようになりました。

 

ただ、ロックフォードレコードの社長は3B LAB.☆のメンバーである千葉貴俊が務めているので、岡平健治は現在会社社長というわけではないです。

 

 

岡平健治の現在の収入が凄い!19の頃の3倍!?

前述していますが、19の活動期に固定給から固定+歩合に給料が変わり、5000万円の大金が入ると、岡平健治はその大金を投資につぎ込みます。

 

実は2013年9月にTBSの「有吉ジャポン」で岡平健治が326に取材をされるという面白いシーンがありました。

*画像出典:cocoa-march.com

この時の放送によると、19で活動していた22歳のころ、オーストラリアドルを購入し投資で成功

 

株では失敗もしたそうですが、手元に残った2億円で不動産を購入

 

現在では前述の通り、会社を設立して飲食店を展開するほか、アパートや駐車場でも収益があるそうです。

 

調べただけでもロックフォードレコードで運営している飲食店が入ったビル2棟を中野区に構えていて、年収は1億5千万円以上あるようです。

 

この投稿をInstagramで見る

 

Kenji Okahira(@kenjiokahira)がシェアした投稿


現在、岡平健治は40代になってしまいましたが、とても若い!

これで収入が1億以上あるなんて、イケメンだしモテるでしょうね。

 

インスタでは岡平健治のリアルな現在が見れます。

バイクや車が大好きで、これまで気に入った車なら高級車でも何でも多数所有しています。

 

維持費も物凄いとは思いますが、19の頃よりも現在の方が成功しているのでお金の心配は一切なさそうですね。

 

 

2018年にはYoutubeを開始した岡平健治

音楽で成功し、投資でも成功し、好きなことをして全て成功しているイメージがありますが、これだけでは足りないのか2018年にはYoutubeを開始した岡平健治。

 

動画のアップロードの頻度は1~2週間に1回程度ですが、登録者も1万人近くいて、現在もユーチューバ―として活動する一面を見せています。

このように、動画では自由に自分が作った曲を無料で開放しているし、イラストも凝っていてチャンネル登録する価値ありますよ。

音楽が好きな人もイラストが好きな人も結構楽しめるチャンネルだと思います。

 

しかし、現在は40代なのにまだ20代に見えますね。

 

 

【岡平健治の現在のまとめ】

・19解散後は、ロックバンド3B LAB.☆でしばらく活動。解散していないので現在も継続しているが、バンド活動は少ない。

・投資で成功し、会社やビル、駐車場、アパートなどで億単位の収入がある。

・Youtubeで作詞作曲した音源などを無料開放するなど、ユーチューバーとしても活動

・甥っ子姪っ子は可愛がっているが岡平健治はまだ結婚していないと思われる。

音楽センスは抜群ですし、知名度も非常に高いのでまた注目されないか期待したいのですが、何不自由ない生活と収入があるので、注目されることに興味はなさそうですね。

 

 

元19、岩瀬敬吾の現在

2002年3月31日で19が解散した後は、ソロシンガーとして活動開始した岩瀬敬吾。

 

約半年後の2002年10月23日には「くり返すは口ぐせと罪悪感」でフォーライフミュージックエンタテイメントというレーベルからソロデビューを果たします。

PVには瑛太を起用するほど注目度の高いナンバーとなりました。

 

ファーストシングルでデビューをした直後の2002年11月6日には岩瀬敬吾ソロアルバム「Porky Pie」をリリース。

 

シングルもアルバムも順調に売り上げを伸ばし、2003年にはイギリスの超有名プロデューサーのジョージ・シリングが協力して「New Speakers」というアルバムをリリースしました。

 

ソロに転向した後はミュージシャンとして、19の頃よりも評価されてきており、2004年にもYUKI(元ジュディマリ)、奥田民生などと共に真心ブラザーズのカバーアルバムにも参加しています。

 

 

2006年には3年半ぶりのシングル「ノイズとため息」がタワレコのインディーズチャートで1位に輝くなど、ソロになって何年たっても支持されていました。

 

そして2011年、自主レーベルを立ち上げるなど、積極的に音楽活動を繰り広げています。

 

 

岩瀬敬吾の現在はソロとトリオで活動!

ソロで活動しながらも2015年にはノロッストリオというグループを結成して新しい音楽を制作するようになりました。

 

ノロッストリオでは、岩瀬敬吾はボーカル・ギターを担当し、パーカッションにハックルベリーフィンの山口幸彦、鍵盤には今村仁美がそれぞれ担当。

19のよりも遥かに歌唱力がアップしているのが素人でもわかりますね。

 

しかし、岡平健治はソロになってロック調の音楽を表現していましたが、岩瀬敬吾はフォーク調というかしんみりした音楽を表現していますね。

解散理由の「音楽性の違い」とは、解散から時が経ち、こういうところにあったのかなとも思ってしまいます。

 

 

岡平健治とは違い、ソロで成功した岩瀬敬吾ですが、現在はノロッストリオでのグループでの活動とソロ活動を別々におこなっています。

 

お顔は40代になりましたが、今もイケメンですよ。

 

【岩瀬敬吾の現在のまとめ】

・ソロになってからは大物アーティストとの共演も多く、19の頃よりも評価されるようになった

ソロ活動とトリオでのグループ活動でミュージシャンを継続中

・現在は横浜市内に在住。ライブやイベント出演などで全国を飛び回っている

・ソロになってから結婚した女性との間に3人の子供がいる

最近はソロになった直後よりもメディア出演など少なくなりましたが、2012年には地元の広島県呉市の観光特使に任命されたり、地方のイベントにも出演するなど活躍しています!

 

 

326(ナカムラミツル)の現在

1999年に19の3枚目のシングル「すべてへ」の発売を機に脱退した326(ミツル)。

 

当時は事務所から月収10万円しかもらえなかったことを2013年のテレビ番組「東野・有吉のどん底」で語っていましたが、イラストレーターとして注目を浴びたことで、事務所を辞めてから発売した書籍は売り上げを伸ばすことに成功しています。

 

19では作詞も担当していたので文才もあるため、書籍ではイラストにプラスして心に響く文章をつけ、読者に共感と感動を与えていました。

 

2004年に発売した「ぼくのおばあちゃん」という書籍は、2008年に榊英雄監督によって映画化され、主役を務めた菅井きんが大きく報道されましたね。

意外と326の作品が原作だったことはあまり知られていませんが、イラストレーターの作品が映画になるのはかなり凄い事です。

 

326は書籍の発売の他にも、テレビのキャラクターデザインなども行っているばかりか、実は1枚だけですけど2002年に「火曜日の唄」というタイトルでシングルもリリースしています。

*アルバムは2枚リリースしています。

 

 

そして、現在ですが、326は今もイラストレーターとして活躍中です!

これまでCMやゲームなどのキャラクターデザインを担当したり、商品パッケージのデザインを担当するなど、実績は十分。

 

326のツイッターでも現在の作品を見ることができます。

こんな感じで、気ままに話題になっている人のイラストをツイートしたりしています。

 

それにしてもやはり上手ですね。

 

そして注目したいのは、有料ですが、326に直接メールをして似顔絵を描いてもらうこともできます。1万円だそうです。

326のツイッターの紹介文からメールアドレスは確認できます。→こちら

 

テレビやメディアの出演は少なくなりましたが、ツイッターのフォロワーの数から見てもまだまだ有名人の326(ミツル)。

今後も注目されるときが来るかもしれませんね。

 

以上、元19のメンバーの現在でした。

岡平健治と岩瀬敬吾は解散後に「現在も仲が良い」とコメントしていますが、ツイッターやインスタなどをみると、ほとんど交流はありませんでした。

しかし、数年前には2人でドライブに行くなど、少なからず仲が悪いということはなさそうです。

今、それぞれがやっている音楽を聴くと、音楽性の違いというのも納得できますが、やはり待ち望んでいるのは19の再結成ですね。

現在も二人は再結成について前向きなコメントをしているようですので、19の復活を楽しみに待ちましょう!

 

おすすめの記事