オスマン・サンコンの現在!日本ギニア友好協会の顧問!?3人目の妻も!

今はもうなくなってしまった「笑っていいとも」に出演し、一気に人気者になったギニア人。
オスマン・サンコンといえば明るいキャラクターと天然なところが印象的でした。最近はめっきり見なくなりましたが、そんなサンコンさんの意外な現在と、驚くべき経歴を徹底調査してみました。

オスマンサンコンの経歴

*画像出典:https://www.123khon.com

ギニア、ボッファの出身。

1949年生まれ。もう70代になる高齢のサンコンさん。

22人兄弟の4男として育ち、ギニア国立コナクリ大学を卒業後、フランスのソルボンヌ大学に留学。

なんと、ソルボンヌ大学には国費で留学したらしく、秀才だったということが分かります。

ちなみにソルボンヌ大学とは、現パリ大学。
パリ大学は多くのノーベル賞受賞者や政治家、哲学者などを輩出している世界的にも超一流の大学です。

学業でエリートコースを進んだサンコンさんは、23歳になる頃にギニアの外務省に入ります。

ちなみに、22人兄弟で他にも2人、ギニアの大臣になった兄がいるそうです。エリート一家ですね。

外務省に入省したその1972年、日本でギニア大使館が開設されました。

日本のギニア大使館員となったオスマン・サンコンは、1980年まで8年間を日本で過ごしました。

その後、アメリカのワシントンに転勤することになりましたが、1984年にギニア外務省を休職して再び来日。

「ギニアを広めるための活動」として人気番組「笑っていいとも」のオーディションに参加したサンコンさんは、番組内で抜群の存在感を発揮。

これをきっかけにタレント活動を始めました。

オスマンサンコンの特徴

・ギニアの公用語であるフランス語、ギニアの母国語であるスース―語、日本語、さらに英語、イタリア語、スペイン語の合計6か国語を話すことができる。

・ギニアで人気のあるサッカーで幼少期に骨折したことにより、足に障害を持っている。

・障害をもちながらも、介護ヘルパー2級の資格を持っている。

・「1コン、2コン、サンコン!」という一発ギャグを持っていた。

・日本人女性と結婚するが、その後、離婚。子供あり。

オスマンサンコンの活躍と、見なくなった理由

「笑っていいとも」のオーディションで少しだけテレビに出るつもりが、火曜日のレギュラーとなったサンコン。

デーブ・スペクターやケント・デリカットなどと同時期に、テレビでは引っ張りだこの存在になりました。

*出典:Youtube

オスマンサンコンは、「真夜中のサンコン探し」などのように、人種差別ともとれる番組に出演していました。

元・外交官であるサンコンがそのようなバラエティ番組に出演することで、人種差別に拍車をかけるという意見もありましたが、本人は「みんなのジョークには愛がこもっていた」と、出演を楽しんでいました。

こういうポジティブで愛されるキャラクターだったこともあり、1990年代まで頻繁にバラエティ番組に出演していました。

何故?サンコンを見なくなった理由

下ネタも連発していた外交官として人気者になったオスマン サンコンですが、前述の通り、学力も高い天才としても有名でした。

テレビに出るきっかけは、ギニアを知ってもらうため。

ギニアを知ってもらえば、ギニアが少しでも豊かになり、医療や教育が発展すると考えていたのです。

大きな希望ではありますが、サンコンは本気で考えていたらしく、実際にギニアに「サンコン小学校」というものまで作るほど、真剣に取り組みました。

1980年代後半にブレイクして、1990年前後には執筆活動が顕著になります。

現在に至るまで分かっているだけで15冊もの本を出しています。
もちろん日本語。

その中でもこれは面白かったと評判でした。


*画像出典:amazon

バラエティに出演していましたが、本当はとても知性的なサンコンさん。

執筆活動や講演活動が忙しくなってきました。

2007年の日刊ゲンダイの取材では、こう答えていました。

「テレビは出たいけど、講演会のスケジュールとぶつかることが多いの。講演会は日本全国の学校とか商工会で年に60回ほどやってるよ」

愛されキャラでしたし、下ネタが好きでしたが頭も良くて失言はしなかったので、「干された」ということは一切ありません。

仕事を選んで、テレビ出演が減ったということが原因ですね。

また、ボビー・オロゴンやゾマホンなど、同じアフリカ出身タレントとは凄く仲が良いらしいです。

面白いアフリカ出身タレントが増えたことにより、出番が少なくなってきたというのもあるかもしれませんね。

現在のオスマン・サンコン!見なくなってから今

1990年後半になると、テレビで観ることはかなり少なくなりました。

サンコンが外交官だったころに喜美子さんという日本人と結婚しましたが、子供を授かるもその後に離婚しています。
(喜美子さんは2012年頃、他界したそうです)

そして、喜美子さんと別れた後にはギニアでも結婚。

ギニアにも子供ができました。

しかし、1999年にサンコンの10歳年下のギニア人女性と、また結婚。
その方は、日本のギニア大使館に勤めていた女性で、現在サンコンはその方と暮らしているそうです。

(ちなみに、ギニアでは4人まで妻を持つことが認められている)

プライベートは3度の結婚となりましたが、仕事の方は至って順調。

テレビ出演こそ少ないものの、講演活動、トークショーなどに呼ばれたり、イベントに参加するなど、日本を飛び回っています。

2010年には島崎俊郎と「ほらみろ!オースーマン」という楽曲を出したり、2014年には囲碁のテレビ番組に出演したり、むさしのFMではラジオ番組を持っていたり、精力的に活動中。

ギニアやアフリカへの支援活動もずっと続けていて、エボラ出血熱への支援金活動や、ボランティア活動も頑張っています。

サンコンシステムズ有限会社の社長!?

*画像出典:https://www.123khon.com/

現在、最初の奥さんである喜美子さんとの間に生まれた勇さんとサンコンシステムズという会社に所属しています。

サンコンシステムズはこちら

勇さんは「ヨンコン」というニックネームで活動中!

オスマン・サンコンは相変わらず、日本とギニアで忙しく活動していて、息子のヨンコンはサンコンの外交活動の補佐をする役割。

ヨンコンが28歳の時に母親である喜美子さんを亡くしてしまいましたが、親子で会社を運営するのはサンコンさんにとってすごく嬉しいことかもしれませんね。

ただ、1990年前後に東京・赤坂にアフリカ料理店を開店し、売り上げを合計2億円ほど横領されたことがあるサンコンさん。

息子さんは信頼できるでしょうが、お金の管理だけはくれぐれもご注意して頂きたいですね。

2018年、北山みつきさんと結婚!3人目の妻!

なんと、2018年8月にオスマンサンコンはグラビア演歌歌手の北山みつきさんと結婚を発表!

ギニアは一夫多妻が認められた国で、4人目までの妻を持つことが法的に許されていますが、国際結婚の場合は多重婚にあたるため、北山みつきさんはギニア国籍を取得することが必要に。

北山みつきさんは2017年7月にブログで2度の結婚と離婚を経験し、サンコンと結婚するまでは独身であったことを発表していました。

【北山みつきさんについて】

1967年12月6日生まれ、神奈川県藤沢市出身。

現在は50代になる遅咲きの演歌歌手です。

26歳で歌手デビューして、さらに45歳でメジャーデビュー。

歌手に加えてグラビアタレントとしても活躍しています。

2人の馴れ初めが何といってもボランティア活動の一環で知り合っているので、賛辞の声が続出。

サンコンさんは3人目の妻になりますが、2018年5月に藤沢市の小学校に訪れて、要らなくなったランドセルをアフリカの子供たちに送るなどの活動をしていき、お互いに惹かれていきました。

今後もボランティア活動や講演活動を活発にしていくと思われるオスマンサンコン。

現在は歳をとってしまいましたが、これからの活躍にますます期待ですね。

オスマンサンコンの現在のまとめ

・サンコンシステムズという会社を息子と運営。

・現在は3人目の妻と日本で生活。
(3人目の妻である北山みつきは、ギニア国籍を取得)

・テレビ出演は少ないものの、講演活動やイベントなどに多く呼ばれている。

・ギニアやアフリカの支援やボランティア活動は、今も精力的に続けている。

サンコンさんの現在を長期間調べましたが、この人は神様みたいな人ですね。

もう今は70代になりますけど、今後も健康に気を使って、いろんなボランティア活動だけでなく、イベント出演やテレビ出演に期待しています。

2021年には週刊女性の取材に答えていましたが、年収は全盛期には2~3億円もあったと語っていました。

現在は日本ギニア友好協会の顧問としても忙しいそうです。

テリー伊藤とは、今も仲がいいそうですよ。