現在においてもファンの多い北斗の拳で有名な「愛をとりもどせ」。 ハイトーンボイスでお馴染みのこの曲はクリスタルキングの楽曲であることも有名です。1980年代にヒットして今なお聞かれる名曲の生みの親であるクリスタルキングの現在を調査しました。 |
現在のクリスタルキングはムッシュ吉崎だた一人!
*画像出典:garakuta.chips.jp
クリスタルキングは1971年に、ムッシュ吉崎を中心に結成されたロックバンド。
地元長崎を中心に九州圏内で活動していましたが、1976年にカモン!ハッスル・ベイビーという楽曲でデビューすると、1979年に世界歌謡祭でグランプリを受賞したことをきっかけにブレイク。
特に現在でも名曲として知られる「大都会」はその年にリリースされ、クリスタルキングの知名度を一気に上げました。
その150万枚ものセールスを記録した大都会の次に、1980年にリリースされた「蜃気楼」も75万枚の大ヒット。
その後も北斗の拳の主題歌に起用された「愛をとりもどせ」も50万枚のセールスを記録するなど、1980年代の日本のロックシーンを席巻した伝説とも言えるバンドでした。
クリスタルキングの特徴は、今なお愛されるほどのロックミュージック。
以前はツインボーカルで、低音をムッシュ吉崎が、高音を田中昌之が担当しており、当時の若者ではカリスマ的な存在でした。
誰もが聞いたことがある楽曲だと思うのですが、サングラスをかけた低音パート担当のムッシュ吉崎がクリスタルキングの中心メンバー。
ムッシュ吉崎以外のギター、ドラム、ベースなどはこれまで入れ替わりが激しく、低音パートの田中昌之はこれまでに3度の加入・脱退を繰り返しています。
そして現在はクリスタルキングはムッシュ吉崎ひとりのプロジェクトとして活動中です。
2009年にムッシュ吉崎が田中昌之を提訴
1995年から現在に至るまで、クリスタルキングはムッシュ吉崎ただ一人です。
しかし、田中昌之が「元」という表記を付けずにクリスタルキングを名乗って活動したことを2009年にムッシュ吉崎が怒って提訴に踏み切りました。
*画像出典:garakuta.chips.jp
ムッシュ吉崎としては、自分が中心となって長い下積み時代も乗り越え、知名度を上げたのに、クリスタルキングを名乗って別なステージで稼ぐことは許せなかったのでしょう。
気持ちは分かりますが、判決結果は「クリスタルキングを名乗っても社会的評価を下げない」として、請求は棄却されました。
著作権や肖像権が強く守られている現在の法律で、納得のいかない判決だったと思いますが、その後はツインボーカルを組んでいたムッシュ吉崎と田中昌之の関係は修復不可能と言われています。
実際に、2013年にクリスタルキングの元メンバーが集まったコンサートでも、一番の中心であるムッシュ吉崎は参加していませんでした。
さて、バラバラになってしまった元クリスタルキングのメンバーはどうしているのでしょうか。
まずは、現在のクリスタルキングであるムッシュ吉崎の今からどうぞ。
クリスタルキングのメンバーの現在
ムッシュ吉崎の現在
立ち上げからクリスタルキングとして約50年も活動しているムッシュ吉崎。
前述の通り、現在も一人となってしまいましたが、クリスタルキングで活動しています。
現在のクリスタルキングとしての活動は、新曲のリリースはほどんどありませんが、かなりの数のステージをこなしており、バンドやソロでのライブがメイン。
テレビなどの出演は少ないものの、第一線で大物歌手として活動中です。
また、クリスタルキングは北斗の拳のゲームやパチスロでの人気がきっかけで、ここ10年以上もの間、「愛をとりもどせ」が世間に広まり続けています。
この「愛をとりもどせ」をいろんなバージョンでライブでは披露していて、ファンにとってはどのライブも評価が高いです。
イベントなどでも引っ張りだこで、Youtubeにヒット曲「大都会」を披露している映像があったのでどうぞ。
現在は以前とは発声法を変えていて、低音パートだけでなく高音も出せるようになっているとのこと。
70代とは思えない声量です。
ツイッターなどはやっておりませんが、公式サイトなどでライブやイベントでの出演の情報があります。
・クリスタルキング(ムッシュ吉崎)の公式ホームページは→こちら
クリスタルキングとしても、株式会社クリスタルキングカンパニーの社長としても現在も大活躍中!
ムッシュ吉崎は、今後も生きた伝説としてプロ歌手として活躍し続けていくと思います。
田中昌之の現在
クリスタルキングのハイトーンボイスで大注目されていた田中昌之。
実はクリスタルキングには3度も加入と脱退を繰り返しています。
クリスタルキングでは作詞と作曲も担当していて、3オクターブを操る天才シンガーと言われていました。
1986年に2度目の脱退することとなりますが、その後、1989年に草野球で喉元にボールが直撃して、ハイトーンボイスを失ってしまいます。
それからしばらくして1995年にクリスタルキングに復帰して、1998年に最後の脱退。
これ以降はソロとして活動しています。
現在はソロシンガーとしてライブ活動を中心に活躍中。
こてっこてのロックンローラーで、今もパーマをかけたヘアースタイルは健在です。
2017年のイベントでのライブ動画があったので、どうぞ。
歌唱力は全盛期に比べて圧倒的に落ちてしまいましたが、これも野球の最中の怪我が原因。
70代とは思えないパフォーマンスと、おじいちゃんとは言えないほどのイケメンぶりは現在も面影がありますね。
トークパフォーマンスも評価がありますし、今も男女関係なく同年代のファンはたくさんいるみたいです。
ムッシュ吉崎とはクリスタルキングの名前の使用で揉めてしまい、不仲となっていますが、現在もクリスタルキングの楽曲が目当てのファンが多そうです。
ツイッターを見ると、かなりの数のライブを行っていて、歌唱力は落ちても超大物歌手であることには違いないということが分かります。
・田中昌之のツイッターは→こちら
・田中昌之の公式ホームページは→こちら
田中昌之は元クリスタルキングのソロシンガーとして大活躍中!
全国各地のイベントやライブ活動などがメインで今も大物歌手として多くの人に認知されています。
高木和好の現在
1985年からクリスタルキングのドラムとして加入した高木和好。
ブレイクした後に加入しているので、その頃からドラムの実力は大きく評価された天才でした。
実は、クリスタルキングに加入する前から竹田和夫&CREATIONというグループに参加していたり、テレビ番組でレギュラー出演していたなど、知る人ぞ知る存在でした。
クリスタルキングを脱退してからは、テレビ、ラジオなどで出演するアーティストにドラムとしてサポートをするなど大活躍。
中島みゆきのサポートドラマーを務めていた時期もありました。
それだけで、ドラムの実力はかなり高いと分かります。
そして、現在はライブハウスやクラブなどでロック、ソウル、R&Bなど様々なジャンルの音楽でドラムとして参加。
今でも年間に150本以上のステージをこなしているほどです。
また、国際文化学園の音楽科コースでドラムの講師としても活動するほか、高木和好自身が運営するドラムのレッスンスクールも展開中です。
高木和好のドラムレッスンの公式ホームページは→こちら
山下三智夫の現在
クリスタルキングでは、メインボーカルのムッシュ吉崎と田中昌之に代わってボーカルを務めたこともあるギタリスト。
さらに、大都会や蜃気楼、愛をとりもどせのヒット曲はこの山下三智夫が作曲しています。
ギターも最高レベルで歌も歌えるのですが、1986年にクリスタルキングを脱退してから現在に至るまで、目立った活動はしておりませんでした。
作曲家としても充分な実績と実力があるにもかかわらず、表舞台から姿を消しており、今なお情報は皆無です。
山下三智夫は1952年生まれで年齢による衰えもあるかもしれませんが、日本の音楽シーンのためにも、また名曲を作ってほしいね。
野元英俊の現在
クリスタルキングには1986年まで在籍していた野元英俊。
あまり知られていませんが、元々自衛隊に入っていて、クリキンが全国で有名になる前からクリキンのライブに通い詰めてたファンだったそうです。
そして、クリキンの当時のベースが体調不良でダウンしたときに、「おまえ、何もしなくていいからベース持って立っててくれ!」と言われ、急遽ライブに出演することになりました。
そして、何故かそこからクリスタルキングのメンバーとして抜擢。
自衛隊を辞めてクリスタルキングに加入するとか、夢のような話ですが、事実だそうです。
1986年にクリスタルキングを脱退してからの情報はあまりありませんでしたが、2014年には元クリスタルキングの同窓会コンサートに出演していました。
「SOY-Gカンパニー」というバンドで音楽活動を行いながら、野元英俊は現在は千葉県に住みながらNomo-G Farmという農園を運営しています。
クリスタルキングのベースだったというだけで大物アーティストであることは分かりますが、農業に転身しているなんてビックリですね。
中村公晴の現在
愛を取り戻せなどの名曲の作詞を担当したことでもファンの間では知られている中村公晴。
クリスタルキングには1975年から1998年まで、ムッシュ吉崎に次いで長く在籍していたピアノ奏者です。
2014年の元クリスタルキングの同窓会コンサートにも出演していたのですが、それを最後に目立った活動はネットでは見当たりませんでした。
その他の情報もくまなく探してみたものの、ピアノ関係の情報もなく、現在の中村公晴の活動は分かりません。
今給黎博美の現在
抜群のキーボードセンスで多くのファンを魅了してきた今給黎(いまきゅうれい)博美。
ブレイクしているときのメンバーであり、多くの名曲の作曲を担当してきて一部では天才の音楽家とも言われていましたが、実は、もともとはギターを担当していたそうです。
クリスタルキングを脱退した後は、プロのキーボード奏者としていろいろな組織で働いており、現在は地元の九州に戻っています。
(出身は長崎県大村市ですが、現在は福岡市に在住。)
今日からスタートです!
お近くの皆様お時間ありましたらよろしくお願いしますm(_ _)m pic.twitter.com/Dhj2g72ObY— 今給黎博美 (@imaq_163) January 12, 2016
現在、今給黎博美は九州を拠点に様々な地域でステージに立っていたり、楽曲制作や作曲活動は継続しており、キーボードやピアノの講師もしています。
また、他の元クリスタルキングのメンバーと共に「SOY-Gカンパニー」というバンドも結成していて、そちらでもベーシストとして活動中です。
元クリスタルキングをあまり名乗っていないようですが、実力だけで充分現在も活躍できているようです。
金福健の現在
1983年までクリスタルキングのドラムを担当していた金福健ですが、2014年に逝去しています。
運命の巡り合わせなのか、金福が亡くなった翌日に元クリスタルキングの同窓会コンサートが開かれ、コンサート会場でも泣いている人がいたみたいです。
田中昌之は金福健のことを「ケン坊」と呼んでいて、ケン坊のドラムが大好きだったと語っていました。
内田聖治の現在
1998年から2002年までクリスタルキングの2代目ボーカリストとして活動していた内田聖治。
熊本出身で、1977年に上京してから歌手活動をしており、クリスタルキングに入る前に「サンバ・クラブ」でメジャーデビューまでしていたプロ中のプロ。
クリスタルキングを脱退してからはソロシンガーとして東京を中心に全国で活躍中です。
・内田聖治のブログは→こちら
・内田聖治のツイッターは→こちら
クリスタルキングを歌えるってだけでかなりの歌唱力だと分かりますが、今後も歌手活動を続けると思われるので、気になる方はチェックしてみてください。
ファンキー末吉の現在
1984年に一時的に在籍していましたが、ファンキー末吉もれっきとしたクリスタルキングの元メンバー。
ご存知の通り、サンプラザ中野率いる爆風スランプのドラムとして活躍した有名なドラマーです。
クリスタルキングを脱退してからは爆風スランプでの活動一本でした。
爆風スランプが活動休止すると、1999年に二井原実などと共にバンドを結成。
2001年には中国人の女性と結婚し、活動の拠点を中国に移しました。
JASRAC(日本音楽著作権協会)と2009年から揉めていて、現在も抗争中。
2017年に最高裁でJASRACの主張が通ってしまってファンキー末吉側が負けたのですが、クラウドファンディングを発足させてまだまだ戦っているようです。
また、「北京的夏」や「日本の音楽が危ない~JASRACとの死闘2899日~」などのいくつかの著書も出版しています。
・ファンキー末吉の公式ホームページは→こちら
・ファンキー末吉のツイッターは→こちら
・ファンキー末吉の支援者の会は→こちら
高岡丈二の現在
1998年までドラムでクリスタルキングのメンバーとして参加していた高岡丈二。
様々な情報からその後の高岡丈二を調べてみましたが、まったく情報が見つかりませんでした。
尾町英司の現在
1993年までクリスタルキングのベーシストとして活躍していた尾町英司。
クリスタルキングを脱退した後は、なんとニューヨークに活動の拠点を移していたことが分かりました。
もちろん、NYでもベースを演奏していたそうです。
14年もの長い期間、アメリカに滞在した後は2015年に日本に戻ってきています。
現在は、ベーシストとして日本で活動しているようですが、特筆できるような目立った活動はしていなそうです。
上坂哲史の現在
上坂哲史(こうさかてつし)はクリスタルキングでギターを担当していて、脱退後はギタリストとして活躍中です。
現在は、元クリスタルキングのメンバーが数名在籍している「SOY-Gカンパニー」というバンドでギタリストとしても活動しています。
また、驚くべきことに釣りの情報誌でも連載をしていたことがあるほど、今は釣りに精通していることも分かりました。
上坂哲史は出身こそ京都ですが、育ちは神奈川県。
現在は神奈川県茅ケ崎市に在住で、釣りを楽しみながら、SOY-Gカンパニーでライブ活動を行うなど、悠々自適な生活をしているようです。
福田彰一郎の現在
1998年までクリスタルキングに在籍していた福田彰一郎ですが、脱退後の情報はひつとも見つかりませんでした。
著名なギタリストも調べてみたのですが、福田彰一郎の名前が載っていなかったので、ギターを続けているのかもわかりません。
秦好樹の現在
1993年~1999年までクリスタルキングのギターを担当していた秦好樹。
クリスタルキングの元メンバーでもっとも、その後に変化したメンバーかもしれません。
クリスタルキングを脱退した後は、ゲーム音楽の制作や新人ユニットのプロデュースなどを手掛けていました。
しかし、36歳にしてベースの弾き過ぎにより右手中指が動かなくなるという不運に。
早くにして芸能界を引退すると、なんと、うどんの本場である香川県でうどんの修行を始めます。
秦好樹は、もともと香川県の出身で、うどんに対する情熱はかなりあったそうです。
香川でも名店と呼ばれる「あさひ」でうどんの修行をした後、香川県の七尾市内で讃岐うどん店をオープン。
なんと、うどんの激戦区でありながら、行列ができる名店に仕上げてしまいます。
もちろん、現在も秦好樹のうどん店は営業中。
さらにミュージシャンとしての情熱は健在で、2011年には音楽制作事務所を設立。
香川県からプロのミュージシャンを輩出するために、才能あるミュージシャンを現在も育てているそうです。
川上聡の現在
1986年にクリスタルキングにギタリストとして参加していた川上聡。
ヤマハ音楽院を卒業したギタリストですが、現在はスガナミ楽器という音楽教室で、アコギ、エレキギター、ウクレレなどの弦楽器の講師を務めています。
音楽活動は講師としてだけではなく、榎本英彦と小澤徹也と共にShe’z K(シーズケー)というバンドを結成してライブなども行っていました。
しかし、She’z Kの活動は現在は調べた限りでは活動していません。
今は講師としての活動一本かと思われます。
以上、クリスタルキングのメンバーの現在でした。
転職していたり、ソロ活動をしていたり、新しくバンドを結成していたり、これまで多くのメンバーがいたので様々な現在ですが、メンバーの活躍をこれからも期待しましょう。