t.A.T.u(タトゥー)露アイドル「リェーナ」と「ユーリャ」の現在

2003年、ミュージックステーションで生放送なのにいきなりドタキャンしたロシアのお騒がせアイドルユニット「t.A.T.u」を覚えている方も多いかと思います。
日本の女子高生の恰好をして過激な演出ばかり目立っていましたが、歌唱力と表現力はかなり高い評価を得ていながらバッシングされて消えていった二人組の今現在を徹底的に調べてみました。

1998年、t.A.T.u(タトゥー)の結成

*画像出典:Amazon

モスクワで10代の女性歌手を対象にオーディションを開催し、最終的に10名まで残った若い女性歌手たち。
10人に絞られながらもリェーナとユーリャの歌唱力は群を抜いていたそうです。

少女同士が織りなす甘く切ない物語をモチーフに、「this girl loves that girl」(この少女はあの子を愛してる)の意味で「Та любит ту」というロシア語からタトゥーという名前は産まれたそうです。

もっとも、オーストリアにすでにTatuという有名なバンドが存在していたこともあり、表記をt.A.T.uという表記にしたそうですが、この文字が与えるインパクトも世界的に有名になった理由の一つと言われています。決して入れ墨が入っているわけではございませんのであしからず。

イワン・シャポヴァロフとアレクサンドル・ヴォイチンスキーのプロデューサーが仕掛けるt.A.T.uのその後の波乱万丈な歌手活動はこうして幕を開けることになります。

2000年に大ヒットした女性ユニット・タトゥー

9月にリリースした「私はおかしくなった」という意味の「Я сошла с ума」がロシアで大ヒットしました。

PVでは過激な同性愛者のリェーナとユーリャを演出させて、それまでのロシアの音楽シーンから物凄く違った角度から多くの若者の支持を受けることになります。

*動画出典:Youtube

そしてこの大ヒットを皮切りに翌年、同じ作詞家・作曲家(キーペルとガロヤン)が「私たちは捕まらない」という意味の「Нас не догонят」をリリース。

そちらも大ヒットになり、今度はこれがインターネットで世界中で話題になります。

特にロシア側である東ヨーロッパでの人気は爆発。旧ソ連のウクライナなどはもともとロシア語を学んだり話したりする文化があり、年齢関係なく、多くの人たちに知られていきました。

そしてこの頃からアメリカや西ヨーロッパに進出するためにロシア語の曲だけでなくて英語版の制作もスタートするようになりました。

Mステでのドタキャン騒動

*画像出典:今日の芸能ニュース速報【画像・動画あり】

世界的にヒットしていったt.A.T.uは作詞家たちの脱退もあり、スキャンダラスな路線をどんどん強めていきます。(ちなみに、そもそもt.A.T.uとは、アイドル二人でなく作詞家と作曲家、プロデューサーなども含めたグループのことを指しているらしいです)

プロデューサーはそのスキャンダラスな路線で常に注目を浴び続ける必要があると考えていたそうです。

それがリェーナとユーリャの同性愛のパフォーマンスなのですが、Mステ事件の頃にはリェーナとユーリャはそれぞれ恋人(男性)の存在も明らかにしていたそうで、そのスキャンダラスなパフォーマンスは、見透かされつつあったそうです。

にもかかわらず、起こってしまったMステ事件。

*画像出典:ガールズちゃんねる

2003年6月27日、金曜日。Mステのオープニングに二人で登場したt.A.T.uですが、自分たちの出番になると楽屋から姿を消しました。

後日、リェーナとユーリャはプロデューサーによる出演ストップ命令をカミングアウトしていますが、やはり、ここでもイワン・シャポヴァロフによる炎上目的の行動が・・・

ちなみに、t.A.T.uが出演しなかったことにより空いてしまった枠はThee Michelle Gun Elephantがアドリブでもう一曲演奏することになりました。

しかも、彼らはMステ初登場!午前中からリハーサルを行うらしいのですが、本番でいきなりそういうことがありながらも、見事に生放送での事故を最低限の被害にしました。タモリも覚えているほどのMステの伝説になっているそうですよ。

2004年頃から同性愛者でないことが分かり、徐々にスキャンダルが減る

ファンの間ではリェーナとユーリャが同性愛者出ないことは百も承知でしたが、ユーリャが妊娠→出産したニュースでこれまで描いてきたt.A.T.uの虚像が崩れ始めていきます。

当時は日本での活動はMステ事件の影響でほとんどなくなっていました。

やはり、ドタキャン食らったら番組も成り立たないですもんね。

*画像出典:BrandNewS

2004年に、ユーリャが妊娠したことをきっかけに活動は少しずつ減っていきます。

出産後に復帰をしたのですが、スキャンダルなイメージはほとんどなくなっており、音楽性だけで勝負するようになります。

2006年には、久々に日本での活動。東京や横浜などでミニライブを行ったり、札幌ラジオ局での出演など、地道な活動を行うようになりました。

それ以降、以前ほどの注目を浴びることはありませんでしたが、過去の栄光とは言えど、世界的なアイドルだったのでたまにはニュースになることもありました。

そして、2011年、日本ではあまり大々的に報じられることはありませんでしたが、t.A.T.uは解散してしまいます。

ちなみに、wikiによると活動停止は2014年となっていますが、かなり調べたところ、やはり正しくは2011年に解散ということで間違いありませんでした。

解散後のt.A.T.u(リェーナとユーリャ)


*画像出典:マイナビニュース

【スニッカーズのCMで来日】

スニッカーズのCMで内田裕也とt.A.T.uのリェーナとユーリャが起用されました。そこで久々に日本のメディアに登場。

ただし、再結成をしたわけではなくて、一時的な仕事ということでの出演にとどまりました。

【ソチオリンピックの開会式】

ソチオリンピックの開会式の前に、ショーが行われたのですが、そこでもリェーナとユーリャは登場!

スニッカーズのCMと同じ2013年の出来事です。

そのショーではヒット曲である「Not gonna get us」が使われたそうです。

そして、それをきっかけにネット上でも再結成の噂が流れていましたが、これもツアーをドタキャンしたことにより流れてしまったそうです。

上記は2013年の出来事ですが、現在に至るまでそれぞれソロ活動を行ってます。

リェーナ・カーチナの現在

t.T.A.uのオーディションで相方のユーリャよりも最初に選ばれたリェーナですが、ソロになってもユーリャよりも精力的に活動しています。

Facebookページでも最近の情報があります。

リェーナ・カーチナのFacebookの情報はこちら

日本のファンにも着物を着て必ず戻るとメッセージを送っていました。

とにかく精力的に活動している現在。

インスタグラムのフォロワーは10万人に及んでいませんので、世界的に有名人にしてはかなり少ないのですが、ロシア美女は今も健在。

インスタはこちら

FBもインスタもロシア語じゃなくて英語で投稿しているのでわかりやすいですよ。

リェーナの現在はロシアでの歌手活動とタレント活動がメインのようです。美人なのでモデルなどもたまにしているようですよ。

ユーリャ・ヴォルコヴァの現在

t.A.T.u解散前の2004年に声帯嚢胞(のうほう)になってしまったり、産後うつになってしまったりと、いろいろ病気がちなユーリャ。

リェーナに比べて現在の歌手活動は少なめのようです。

歌手活動は少なめのようですが、モデル・タレント活動をロシアで精力的に行っています。

2012年には日本の新聞紙の取材で日本に行きたいと語っていました。

*画像出典:Lena Katina Japan – FC2

最近のユーリャはこんな感じ。

*画像出典:Alchetron

昔より顔がかわったような。。。

唇あたりを整形手術を受けたという報道もありましたが、だいぶ昔と顔が違いますね。

現在は30代になってしまいましたが、日本人から見るとかなり大人っぽく見えます。。

ユーリャもインスタグラムをやっているので、最近の活動は英語で確認することができます。

ロシア語もわかる方は、ロシア語の表記もあります。

ユーリャのインスタはこちら

さすがにもともとt.A.T.uだけあって、タトゥーがたくさん入っていますね。

腕に入っている「龍」のタトゥーは日本人としては好感持てます。。

というわけで、お騒がせロシアアイドルのt.A.T.uの現在でした。

・リェーナの現在は歌手活動を中心にたまにタレントとモデル活動。

・ユーリャの現在はモデルとタレント活動を中心にたまに歌手活動。

二人ともより一層美人になってきているので、再結成していつかMステで今度はしっかり歌ってほしいですね。

【最新情報】

2021年にユーリャに関するニュースがとびだしました。

ロシアの元女性デュオ「tATu(タトゥー)」のジュリア氏(36)が28日、9月の下院選で政権与党「統一ロシア」から出馬する意向を表明した。タス通信が伝えた。

なんと、今度は政治家になると立候補をしたユーリャ
*記事ではジュリアとなっていますが、ロシア語読みだとユーリャです。

出馬する意向とありますが、実際に出馬しました。

結果は、この選挙区から出馬した対戦相手のミハイル・キゼエフ氏の得票は36,000票だったのに対して、ユーリャはわずか919票だったそうです。

現職相手に厳しい選挙となりましたが、後にインタビューでは「イヴァノフスク地方の有権者の投票への関心を高めた」と、語っています。

過去のドタキャン騒動を考えると、さすがに政治家は難しかったかも?