シングル「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」がオリコン1位になり大ブレイクし、1990年代の日本のバンドブームを盛り上げたL⇔R(エルアール)。現在でも有線などで耳にすることもある名曲ですが、メンバーの今を追いました。 |
あの頃のL⇔R(エルアール)
*画像出典:芸トピ
1990年にボーカル・ギターを務める黒沢健一、同じくボーカル・ギターの黒沢秀樹、ベースを務める木下裕晴の3人でL⇔Rは結成されました。
黒沢健一と黒沢秀樹は兄弟で、もともとラギーズというバンドで地元の茨城県日立市で活動していましたが、L⇔Rの結成時は都内で活動。
1991年にはミニアルバム「L」でデビューしますが、その頃の音楽業界の中では「新人の中に明らかに新人のレベルではないプロがいる」と話題になっていたそうです。
1992年にはキーボードとして嶺川貴子が加入します。
1993年、まだ人気爆発していませんでしたが、その頃にはファンクラブも発足しており、服部良一音楽賞を受賞するほど、実力派バンドとして名を馳せていきます。
しかし、1994年に理由は明かされていませんが、ポリスターという事務所からポニーキャニオンに事務所を移籍。
同時に嶺川貴子が脱退してしまいます。
現在多くの人が知っている3人体制のL⇔Rになりましたが、1995年に「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」がドラマ「僕らに愛を」の主題歌に使われて大ヒット。
ポップなメロディで幅広い世代で人気を集め、さらに歌いやすさからもカラオケでも未だに人気ランキングに入っている名曲です。
このシングルの大ヒットをきっかけに大物アーティストとなったL⇔R。
翌年の1996年には日本武道館の公演もするほどにもなり、「Let me Roll it!」などのアルバムも全てオリコン上位ランカーに。
しかし、1997年にボーカルの黒沢健一が後にリリースされるアルバム「Doubt」の収録中にスタジオから逃げるなど、精神的に限界に達していたそうで、活動休止を宣言。
その後はベストアルバムや配信などで音源をリリースすることはあっても再結成はしておりませんので、事実上の解散となりました。
大物アーティストの仲間入りを果たしたL⇔Rですが、実際にブレイクしてから2年ほどで解散する結果となってしまいました。
それでは、メンバーの解散後から現在に迫っていきたいと思います。
黒沢健一は2016年に脳腫瘍により逝去
*画像出典:amazon
1997年にL⇔Rが解散した後は精力的にソロシンガーとして活動を開始。
1998年にはNHKのポップジャムという人気音楽番組のエンディングテーマに採用される「WONDERING」というシングルをリリースしますが、オリコン最高41位とL⇔R時代のようにはヒットせず、その後もオリコンチャートで40位以内に入る楽曲はありませんでした。
それでも、全国ツアーなど敢行するなど2000年代に入っても根強いファンは多く、日本の音楽シーンに残した功績は絶大です。
たしかにソロシンガーとしてヒット曲には恵まれませんでしたが、作曲家としての才能を開花。
稲垣潤一、永作博美、南野陽子、森高千里など人気アーティストに楽曲を提供しており、中でも森高千里の「気分爽快」は大ヒットしています。
大物音楽プロデューサーとして見事に地位を築き上げましたが、2016年自身の公式サイトで脳腫瘍の治療中であることを公式発表。
治療の甲斐も虚しく、2016年12月5日に逝去。48歳というまだまだ若い年齢でした。
亡くなった翌月には「黒沢健一を偲ぶ献花の会」が開かれるなど、多くのファンが悲しみました。
黒沢健一はいなくなってしまいましたが、彼の歌声は今後も生き続けています。
黒沢秀樹の現在(L⇔R解散から今)
*画像出典:https://www.hideki-kurosawa.com/
L⇔Rが解散して2年後となる1999年に「Believe」というシングルをリリースして本格的にソロ活動を開始した黒沢秀樹。
ソロ活動でリリースした楽曲はオリコン圏外で、なかなか火が付きませんでしたが、実力派のソングライターたちと「HOW」というバンドを結成するなど、音楽活動は継続していました。
しかし、2000年を過ぎたあたりからギタリストとして、ゆずなどの大物アーティストのライブや楽曲制作に参加するようになります。
このあたりから音楽プロデューサーとして活動し始め、吉川ひなのや遠藤久美子などにも楽曲提供していますし、有名アーティストとのユニットやグループを結成しながら音楽活動の幅を増やしていきます。
脳腫瘍で逝去した兄の黒沢健一とも2009年にはユニットを結成しており、L⇔Rのファンを喜ばせましたが、2012年あたりからはソロで弾き語りライブを中心に活動するようになりました。
プライベートでは2017年に女優の佐藤みゆきと47歳にして結婚。
14歳もの歳の差の結婚となりました。
現在は弾き語りを中心にライブ活動を行っていて、アーティストへの楽曲提供や音楽プロデュース活動を継続中!
詳しい音楽活動は黒沢秀樹の公式ホームページ(→こちら)からどうぞ。
現在50代ですが、まだまだイケメンです。
木下裕晴の現在(L⇔R解散から今)
1990年にL⇔Rが結成されたころは会社員だったという木下裕晴。
解散後は普通に会社員に戻るかと一部のファンでは噂になっていましたが、ベースの腕前は超一流だったこともあり、そのまま音楽活動を継続しています。
2003年にはタイトル「Too Lonely To SEE」などのシングルを2枚出していますし、2004年にはアルバムもリリース。
しかし、佐藤竹善もデビュー当時から木下裕晴のベースを大絶賛していたらしく、現在はベーシストとしての活動がほとんどです。
PUFFYや元ジュディマリのYUKIなど大物アーティストのライブサポートをしています。
*画像出典:JapaneseClass.jp
YUKIの左に写っているのが木下裕晴です。
また、2007年には音楽プロダクション「有限会社ラインアップ」の取締役にも就任し、現在は社会的にも充実した生活を送っていると思われます。
元L⇔Rメンバー嶺川貴子の現在
1992年にL⇔Rに加入し、1994年には脱退してしまった嶺川貴子ですが、脱退したあとは「CHAT CHAT」という楽曲でソロデビューを果たしています。
ソロでの活動以外にも、名だたるアーティストのライブや楽曲での参加も多く、実力派のエレクトロニカとして引っ張りだこだったようです。
プライベートでは2000年にミュージシャンの小山田圭吾と結婚し、子供も産まれましたが2012年には離婚しているようです。
離婚後も音楽活動は熱心に継続していて、次第に海外などでも活動の幅を広げ、2014年には北米でライブツアーを行うなど日本人ミュージシャンとして海外での活動が目立っています。
at @tonepoemshop feb 20
— takako minekawa (@tm_meandcat) February 27, 2020
photo by patti wolf pic.twitter.com/zFloCUKqXA
途中でL⇔Rを脱退しましたが、元メンバーの中で現在一番目立った活躍をしているのがこの嶺川貴子かもしれません。
以上、L⇔Rの現在でした。
メインボーカルの黒沢健一が逝去してしまいましたが、どんな形でも良いので再結成してまた日本の音楽シーンを変えるほどの楽曲を聞いてみたいですね。
元メンバーの最新の今の情報が入り次第、また更新します!