2010年あたりからテレビに登場すると、物腰の低い柔らかな喋り方と独特な存在感で一気にブレイクした渡部陽一さん。
その口調とは真逆の世界観である戦場カメラマンという仕事で、経験を活かしたトークも面白くて、いろんな番組で引っ張りだこになりました。しかし、渡部陽一さんも最近ではめっきりテレビ出演は減っています。
現在はカメラマンの仕事をしているそうですが、調べていくとテレビに出るようになった理由なども明らかになりました。

 

 

渡部陽一とは

*画像出典:Naverまとめ

静岡県富士市出身、1972年生まれ。

富士市田子浦中学校時代には生徒会長を務めるなど、目立っていたそうです。

 

大学は明治学院大学の法学部。

明治大学とは違いますが、偏差値もそこそこ高い優秀な大学ですね。

 

大学時代は弁護士、検察官などを目指していましたが、アフリカの狩猟民族に興味を持ったのがきっかけでルワンダ紛争の最中だったコンゴ共和国に。
そこでルワンダの少年兵に襲撃され、そういう子供がいることなどを知らせるために戦場カメラマンになることを決意したそうです。

 

大学を留年しながらも卒業すると、1年のうち半分は海外で取材を続ける「戦場専門」のカメラマンになりました。

 

ルワンダ紛争、コソボ紛争、ソマリア内戦、イラク戦争など、130か国以上の地域を取材

 

結婚は37歳になる頃の2009年ですが、2010年には第1子も誕生しています。

その2010年あたりから多くのテレビ番組に出演するようになりました。

 

 

 

戦場カメラマンとしてのテレビ出演

渡部陽一が結婚した2009年。

年末に放送されたTBSの「1億3000万人の法則」で戦場カメラマンの仕事についてインタビューを受けたのが注目されるようになったきっかけになりました。

 

2010年になると「笑っていいとも!増刊号」でレギュラーになり、一躍有名人に。

2011年にはフジテレビ土曜プレミアム「渡部陽一が撮った!これが世界の戦場だ」で司会を務めたり、戦場カメラマンとして世間一般には知られていない世界の現状を伝えていきます。

 

 

奥さんとの馴れ初めなどをトークショーで話した動画がありましたので、どうぞ。

本当に独特な喋り方をしますね。
今見ても面白いです。

 

それでは、なぜ渡部陽一はテレビ出演を多くしていったのでしょうか。

 

 

渡部陽一がテレビに出演するようになった理由

一番の理由は「世界の戦場が悲惨であることを知ってもらうため」でした。

 

日本では戦争は何年も起こっていませんが、世界各国、特にイスラム圏やアフリカなどでは紛争が行われ、今も子供が銃を構えている場所があります。

 

それを渡部陽一は、より多くの人たちに知ってもらうために戦場カメラマンとして活躍していましたが、自分が多くのメディアに登場することによって、より多くの機会を設けるための手段としてテレビに出るようになったそうです。

 

あの独特な喋り方も、戦場のリアルを伝えるための手段であり、もともとは普通の喋り方らしいです。

戦場カメラマンですが、タレントとして活動するためにお馴染みの独特な喋り方も実はすごくテレビ向けで、バラエティなども含めていろんな番組が渡部陽一に注目するようになったんです。

 

テレビに出るようになったもう一つの理由は、活動費を稼ぐためです。

 

戦場カメラマンという仕事は、常に危険と隣り合わせであるばかりか、ニーズのある写真が撮れるとは限りません。

海外の渡航費なども凄い金額になるため、収入はとても不安定なんだそうです。

時には、バナナの積み込みの仕事をすることもあったそうで、決して稼げる職業じゃないんですね。

 

渡部陽一がテレビで戦場の悲惨さや命の大切さを伝えることによって、世界の内紛や紛争に興味を持ってもらえるばかりか、テレビ出演で活動費を稼ぐことができるので、有名になることは最良の手段。

常に危険な仕事であるばかりか、子供と奥さんがいるので、収入は絶対に必要だったんですね。

 

 

何故、渡部陽一はテレビに出なくなったのか

あの独特な喋り方は「戦場ではゆっくり喋れば」話を聞いてもらえるからだそうです。

 

イスラム圏やアフリカの戦場でも英語で会話をする渡部陽一ですが、戦場ではあの落ち着いた口調で会話をするとメディアで話していました。

バラエティ番組ではその喋り方が面白いと言われ、出演するように。

 

 

しかし、イスラム国で知り合いの日本人が捕まった時にインタビューされて、バラエティ番組でウケてしまった口調で話をするわけにはいきません

 

娯楽番組に社会時事的なイメージを持ち込むことに成功しましたが、バラエティの色が強くなってしまった感じも否めないですね。

 

それがテレビに出なくなった理由ではありませんが、渡部陽一は徐々にテレビの出演(とくにバラエティ番組)を抑えるようになり、戦場カメラマンとしての活動を再開し始めました。

 

また、全国の小学校、中学校、高校などでの講演活動も積極的に行い始めます。

 

もともとテレビ出演は「日本に戦場の悲惨さや命の大切さを知ってもらうため」、「戦場カメラマンとしての活動費を稼ぐため」でしたので、十分に役目を果たして本業の戦場カメラマンを再開したのがテレビに出なくなった理由です。

 

 

渡部陽一の現在

現在、渡部陽一はテレビやインターネットなどのメディアの活動はほとんどなく、戦場カメラマンとして活躍中です。

並行して日本では講演活動も行っており、凄い人気があるそうです。

 

 

テレビに出演していた2010年~2013年は年間に数えるほどしか海外での取材をしていませんが、2014年あたりから情勢が不安定な国での取材を多く行っています。

テレビに出なくなったのが2014年あたりですので、本当に休む暇もないですね。

 

渡部陽一オフィシャルHP

 

公式サイトを見ると、毎月のようにトルコやウクライナ、タイ、アメリカなど、平和と思われている国の中の危険な場所に取材に行っているのが分かります。

ソマリアなどの子供が銃を持っている写真を見ると、日本人なら心が痛くなりますよね。

こういう写真を一般公開していて、いろんなことを感じてもらいたいのが渡部陽一の真意なのではないでしょうか。

是非、→こちら(渡部陽一公式サイトの写真集)もご覧くださいね。

 

 

また、世界各国の政治などもかなり精通しており、毎日のように情勢をチェックしてるようです。

 

渡部陽一のツイッター

 

フォロワーがなんと100万人近く!!

やはりこの人は平和な日本には本当に必要な人かもしれませんね。

 

 

現在はTwitterで戦争地域の状況を報告中!

ロシアとウクライナの戦争について、頻繁に戦況をツイートしていました。

かと言って、ウクライナに戦場カメラマンとして在中している訳ではありません。

普段の暮らしは日本で、ウクライナに取材に行くこともあります。

ウクライナで見た戦争についてを、メディアでも頻繁に話をしています。

ガザ地区などの戦況が激しい地域は特に精力的に状況を発信しているのも、戦場カメラマンとしての誇りが垣間見れますね。

戦場カメラマンと言えど、戦争については政治的な側面からもかなりの量の知識を保有していて、日本のテレビ番組はもう少し渡部陽一を使った方が良いと思います。

ワイドショーでつまらないお笑い芸人よりも、渡部陽一の方が面白いし、番組も盛り上がるはずだし。

 

現在は少しふっくら?渡部陽一の今の姿

陽気なキャラクターで知られている渡部陽一ですが、今の姿を披露していました。

戦場カメラマンのキャラ設定で帽子をかぶっているのかもしれませんが、見るからに優しそうですよね。

 

現在は、日本で生活しながら、講演活動やメディアでの出演などを頻繁に行っている渡部陽一。

今後、ウクライナやガザ地区などの戦況を取材して、将来的に起こり得る戦争についても、多くの知識があるので、見る機会も多くなっていきそうですね。

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