以前、テレビ番組の「トゥナイト」や「トゥナイト2」でリポーターとして知名度を上げた山本晋也監督。 「すごいですねぇ」「ほとんどビョーキ」というフレーズが印象的だった監督も、番組が終了するとあまり見かけなくなりました。 今回はお問い合わせをいただいた中から、「山本晋也監督の現在を調べて欲しい」というリクエストを頂いたので、徹底的に調査してみました。 |
奇才・山本晋也は監督から俳優に
*画像出典:日本タレント名鑑
1939年生まれ、東京都が「東京市」だった頃に、現在の千代田区で生まれ育った山本晋也。
早稲田高校(早稲田実業ではない)を卒業後、日大の芸術学部演劇学科を卒業。
日大芸術学部(日芸と呼ばれる)は学科によっては入学希望者が多く、現在、入学が困難な学部として知られています。
卒業後はテレビ朝日の前身である日本教育テレビでADを務め、1年後には映画の世界に。
1964年、岩波映画製作所で羽仁 進という有名な映画監督のもと、助監督となりました。
1965年には、「狂い咲き」という成人映画を指揮。
山本晋也の初めての監督作品となります。
その後は250作品を超える映画を撮影。
「未亡人下宿」シリーズはかなり有名な作品で、赤塚不二夫が企画・脚本した「下落合焼とりムービー」、欽ちゃんこと萩本欽一の企画した「欽ちゃんのシネマジャック」のように大物とのタイアップ作品も手掛けました。
1980年、当時40代になった山本晋也は、「宇能鴻一郎の貝くらべ」で俳優として活動し始めます。
「キネマの天地」「カンゾー先生」「理由」などの多くの作品に出演すると、1984年にはテレビドラマ「暴れん坊将軍」にも出演。
多くの映画やドラマで俳優としてキャリアを積み、現在でもっとも近い映画だと2006年の「映画監督ってなんだ!」という作品に、テレビドラマは2008年の「帽子」にも出演しています。
山本監督といったら「トゥナイト」
山本晋也は、1981年から始まった「トゥナイト」というテレ朝の番組でレポーターという立場で出演し始めました。
*画像出典:https://www.phileweb.com
当時は今ほど知名度は高くなかった山本晋也ですが、トゥナイトで映画監督独自の観点と切り口で大きく評価されるようになります。
テレビ的にギリギリのところを攻める山本晋也は視聴者にとってかなり面白いものとなり、トゥナイトで全国的に有名になると、「笑っていいとも」で水曜日のレギュラーに抜擢されるなど、バラエティ番組でも大活躍。
1994年からリメイクされた「トゥナイト2」でも看板レポーターとして、同シリーズでは合計20年も活躍し続けました。
「トゥナイト」終了。その後の山本晋也
トゥナイト2が2002年に終了すると、バラエティ番組で見かけることが少なくなった山本晋也ですが、テレビドラマや映画で俳優活動が顕著になります。
NHK大河ドラマ「利家とまつ~加賀百万石物語~」では林通勝の役を見事にこなし、改めて俳優としての実力が評価されると、2003年には「風子のラーメン」で横山周平役を演じました。
ただ、トゥナイト2の終了により、バラエティ番組での出演が減ってくると「かけこみTV」で2003年から5年以上も出演したものの、徐々にテレビから姿を消すようになりました。
その後はレギュラーはほとんどなく、高齢ということもあり「死亡説」が流れるほど山本晋也はメディアで見る機会も少なくなってしまいました。
「干された」などの噂も飛び交う
政府を批判するコメントなども多かった山本晋也。
さらに、テレビで放送できるかできないか、ギリギリのコメントも多くあったために、トゥナイト2が終わって番組の出演が少なくなると「干された」とネットでも言われるようになりました。
調べていくと、実際に干されたような事実は全くなく、ただ単にテレビでの仕事を減らしていたという印象です。
病気説なども飛び交っていたようですが、病気などのハンディキャップを抱えている様子もなく、現在も元気にしているようで、監督業をやっていたころから忙しくしていたこともあり、ゆっくり仕事をするようになったのでしょう。
有名作品を多く手掛けていたし、トゥナイトなど何十年もテレビで活躍していたので、金銭的には物凄く余裕があるはずですからね。
現在の山本晋也監督
前述の通り、現在、山本晋也は高齢ということもありほとんど仕事をしていません。
コメンテーターとしても俳優としても、そして監督としても大成功を収め、知名度も抜群の山本晋也。
間違いなく、番組出演などのオファーはたくさんありそうですが、仕事を選んでいる感じかもしれませんね。
2017年4月にはタレントの小島慶子が山本晋也にインタビューを行っていました。
トゥナイトで21年もの間、レポーターとして社会現象や性風俗など、人間の欲望に目を向け、放送ギリギリの物言いでお茶の間を賑わせた山本晋也。
その時の目標は「2020年に東京オリンピックで取材をする」ということでした。
1964年の東京オリンピックも山本晋也は東京で仕事をしていたことから、2020年の東京オリンピックもかなりの思い入れがあるようでした。
しかし、東京オリンピックでは取材をしたというような情報はありませんでした。
また、貴乃花とも交流があり、2018年、貴乃花親方がワイドショーを賑わせているときは貴乃花にインタビューをしていました。
山本晋也監督の問い「ズバリ、横綱とは?」に、すかさず「包容力です!」
— あーちゃん (@8lBjl) February 8, 2018
包み込むように勝負をし包み込む様に周りの者を幸せにするというのが横綱であると思います。これを聞いて涙が出たわ〜。周囲に気を遣いながら語る貴乃花は素晴らしい。貴ノ岩の回復を切に祈ります。 pic.twitter.com/d9wDr6sICZ
山本晋也だからこそ多くを語らない貴乃花親方にインタビューできたと、好評でした。
2020年にはNHKのテレビドラマ「太陽の子」で朝倉清三という役でも出演していました。
そして2023年には30年ぶりとなる映画の制作が発表されました。
クラウドファンディングで映画の製作費を募集していました。
山本晋也監督による30年ぶりとなる新作映画の製作が決定、今秋から撮影に入るようだ。梶原阿貴が脚本を手掛ける模様。 https://t.co/5yZWM1RUI2 (映画ナタリー) pic.twitter.com/c79WDBNiu1
— cinepre (@cinepre) August 5, 2023
しかし、この山本晋也監督の最新作として撮影されたという情報や公開されたという情報は見当たらず、頓挫したと思われます。
クラウドファンディングも失礼ながら66万円しか集まらず、人気に陰りが見えてしまっていますね。
一世を風靡した監督も、今となっては需要も人気もないと言ってもいいかもしれません。
現在の山本晋也監督は講演活動やたまに俳優業をやっているという感じですね。
もう年齢も80歳を超えているので、ゆっくりと仕事をするようなスタイルでしょう。
今後も元気に活躍してほしいです。