トイレのトラブル8,000円でお馴染み、クラシアンのCMでよく見る森末慎二。 最近の人はこの人がオリンピックの金メダリストとは知らないのではないでしょうか。体操で金メダルを獲得し、タレントに転身。その後は、バラエティ番組を中心に大活躍しましたが、CM以外ではあまり見なくなりましたね。現在の森末慎二の活躍が少しびっくりでしたので、今回は過去の経歴と共に森末慎二の今をご紹介します。 |
森末慎二の現役時代
*画像出典:Twitter
1957年5月22日生まれ、岡山県岡山市出身。
この人の現役時代の活躍はかなり凄いです。
高校時代から体操ではかなりの実力者。高校三年生の時には全国大会で1位になるなど、若くして将来を嘱望されていました。
関西高校を卒業すると、体操で日本体育大学に進学。
大学を卒業すると紀陽銀行(和歌山県No.1の地方銀行)に体操部として入社。すぐに国際チームのメンバーに抜擢されました。
1984年にロサンゼルス五輪で日本代表に選ばれ、鉄棒決勝で驚異の10点満点を出して金メダルを獲得します。
また、跳馬でも銀メダル、体操団体では銅メダルを獲得しており、金メダリストでありながら銀メダルも銅メダルも持っています。
怪我の多い体操という競技で、挫折することなく日本一、世界一を達成した森末慎二ですが、あることがきっかけで突然に選手として引退することになります。
森末慎二の体操引退のその後
1986年2月、まだ森末慎二が20代の現役選手だった頃、当時は既に金メダリストとして知名度は抜群、選手としてもまだまだやれたのですが、お昼のバラエティ番組「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングのコーナー「お友達の紹介」で出演することになりました。
しかし、紀陽銀行に入社しており、アマチュアの体操選手として登録されていた森末慎二は、そのアマチュア選手の規定で「バラエティ番組の出演禁止」というのがあり、出演すると規約違反になります。
そこで、突然、現役の引退を宣言。紀陽銀行も退社するという驚きの行動に出ます。
無事にいいとも!への出演は叶い、当時は大きな話題となりました。
さらに、それがきっかけかは分かりませんが、いいとも!ではその2か月後となる4月から火曜日のレギュラー出演が決定しています。
その後は同年(1986年)10月からスタートした、萩本欽一や関根勤、野口五郎などが出演するドキド欽ちゃんスピリッツで本格的にテレビタレントとして活動がスタート。
世直し君というコーナーでは特に森末慎二の人気があったように思います。
人気番組出演をきっかけに、その後のテレビ出演はどんどん増えていきました。
NHKの教育番組で体操を生かしてレギュラー出演したり、ご存知のクラシアンのCMや映画「ゴジラvsキングギドラ」にも出演するなど、十分すぎる活躍をみせています。
1994年~2000年にヒットした体操漫画の「ガンバ!Fly High」の原作を担当したり、2006年~2011年は九州共立大学で特別客員教授を務めていましたし、2007年~2013年は日本体操協会の理事も務めています。
1998年の長野オリンピックでは聖火ランナーにも選ばれて、地元を盛り上げていました。
引退してからも金メダリストとして、体操を中心とした多くの活躍をしていた人気者です。
また、プライベートでは、オリンピックに出場した1984年に日体大時代の1学年後輩だった近藤典子さんという女性と結婚しています。
奥さんもかなりの実力者で、後に日体大の体操女子の監督を務めたり、2014年の仁川アジア競技大会ではコーチを務めるなど、非常に優秀な体操選手でした。
1990年には息子さん(悠樹さん)が誕生。
すでに30歳を超えている息子さんの現在の情報はありませんが、体操界のサラブレッドですので、身体能力はピカイチでしょうから何かスポーツをされているかもしれませんね。
そんなこんなで、体操でも芸能界でもプライベートでも成功していた森末慎二。
テレビであまり見なくなってからの現在は意外なものでした。
森末慎二は現在、沖縄の小さな島に!
2011年、それまでも順調に仕事を続けていた森末慎二が第二の人生をスタートさせます。
なんと、沖縄県の宮古島に移住したのです。
2011年と言えば、東日本大震災があった年。原発事故が起こると多くの芸能人が地方に移住しておりますが、森末慎二の場合は純粋に宮古島が好きで移住したそう。
しかも、900坪の土地と4000万円の建物まで購入。
もちろん、そこから本格的な宮古島での生活がスタートしました。
奥さんである近藤典子さんは、前述の通り体操関係の仕事があったため東京で生活しているそうですが、現在も森末慎二は仕事で東京に行くことはあっても、あくまで宮古島が生活の拠点。
ゴルフをやったり、海が好きなのでシュノーケリングをやったり余生を満喫していたのですが、宮古島の名産品である車エビを食べる飲食店がないことに着目し、新鮮な車エビをつかった天丼屋さん「みゃ~く商店」を2018年にオープン。
最近オープンしたみゃーく商店、メニューは車海老の天丼のみ!🦐
— DRIVE宮古島 (@MiyakoDrive) October 27, 2018
とうがん、よもぎ、なす、海老3尾の天ぷらがのった豪華な天丼です✨
衣はサクサクで、海老はプリッとしてて美味しかったですよ~😇
〆は卓上の出汁で出汁茶漬けにできます😄#宮古島 #Miyakojima pic.twitter.com/TuwtN0PMIs
みゃ~くとは、宮古島の方言で「みやこ」の意味。
宮古島の特産を使っているから、このネーミングになったそうです。
Twitterなどでのお店の評判を聞くとかなり良い評判ばかり。
エビアレルギーの場合は、店員さんに言ったら他の地魚を使った天丼を作ってくれることもあるみたいなので、是非宮古島に行ったら空港近くのみゃ~く商店にどうぞ。
みゃ〜く商店
〒906-0015 沖縄県宮古島市平良久貝868-1 11:30~15:00(L.O.14:30)、17:30~23:00(L.O.22:30) 定休日:不定休 |
ちなみに、みゃ~く商店は2020年5月にコロナによるお客さんの激減のため、閉店を発表していますが、10月10日には居酒屋としても機能するお店にリニューアルオープンしています。
ネット上には、現在は閉店しているという情報が独り歩きしておりますので、ご注意を。リニューアルしてお店は復活してますよ。
ところで、なぜ、タレントとして成功していたのに仕事を捨ててまで宮古島に移住したのでしょう。
森末慎二はテレビ番組「シンソウ!坂上」で次のように答えていました。
「(タレント生活の)33年間でいろんなものをやりました。でも演じることがダメでしたね・・・苦痛で・・・。もう十分働いたから宮古島でのんびり暮らすだけ。普通に生活できればいい」
つまり、タレントとしてはもう未練はなく、普通に暮らすだけの貯蓄や収入があるということでしょう。
それでも、元々は世界一を獲った金メダリスト。
講演会やオリンピック関係、体操関係の解説者などの仕事もたまにやっています。
雑誌の取材ではコロナで仕事が減ってしまったということも述べていましたが、宮古島に観光客が戻ってくればまた忙しくなるでしょう。
移住した後も、ここ数年では、内村航平や田中理恵などの人気体操選手の活躍ではテレビの出演が増えていましたし、日本体操協会のパワハラ問題では「30年前からそういう噂があった」とコメントして注目されたこともありました。
体操業界の重鎮としても充分認知されているし、嫌われていないタレントとしても評価されているので、仕事はまだまだありそうです。
飲食店経営をしながら、海やゴルフで遊んでいる現在の森末慎二。
誰からも愛されるキャラクターでタレントとしても成功した金メダリストは、表舞台から自分の意思で消えた今も、羨ましい生活を謳歌しているようですね。