2005年、イギリスで発見された謎の人物、ピアノマンを覚えていますか?
びしょ濡れのスーツに身を包み、正体不明の謎の人物として世界中で注目された人物です。

あれから約20年が経ちますが、今回はそんな謎の多いピアノマンの真相とその後、そして現在を調査してみました。

 

ピアノマンとは

*画像出典:Focus Online

2005年4月8日、イギリス、ロンドンの西に位置するシーアネス(シェアーネス)の浜辺に、びしょ濡れの黒いスーツとネクタイをした男性が発見されたのがピアノマンの始まりです。

*シーアネスの位置は赤矢印のこの辺。割と大陸寄りの地域。

 

その男性は何も発言せず、とりあえず病院に運ばれましたが、記憶喪失だと考えられました。

また、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、オランダ語などの言葉で話しかけても一切発言をすることはなかったそうです。

さらに、所持品はなく、衣服のラベルは剥がされており、身元を特定できるものが何一つなかったのも不思議でした。

 

病院の関係者は何か情報を得ようと、その男性に神と鉛筆を渡すと、見事なタッチでグランドピアノの絵を描き始めました。

*ピアノマンが書いたとされるグランドピアノの絵

そして、ピアノを弾かせてみると、なんとプロ前の実力と思われるほどの演奏をし始めたそうです。

これがピアノマンの由来となりました。

 

当初はケント州の地元メディアだけで報道されていましたが、次第にイギリス中から注目されるようになり、5月には世界中のメディアがその男性に注目しました。

*画像出典:Kent Online

 

日本でも連日報道されていたのですが、世界中がピアノマンの正体を考察するようになります。

・ストリートミュージシャン説
・ロックピアニスト説
・留学生説
・宇宙人説

ピアノマンは宇宙人であるという説は、特にオカルト系のサイトなどでも話題になっていましたね。

イギリス国内では、「私の行方不明になった夫」とか「いなくなったボーイフレンドに似ている」など、800件もの情報が寄せられていたそうです。
イギリス国外からも、フランスやスペインなどヨーロッパ各国や、中にはカナダからも「ピアノマンを知っている」という情報が来たというから、世界的に報道されたことが分かりますね。

 

一方で、当時公開されたイギリスの映画「ラヴェンダーの咲く庭で」の記憶喪失のヴァイオリニストが浜辺で発見されるというシナリオと酷似していることから、映画宣伝目的の「やらせ疑惑」も根強く論じられていました。

 

世界中から記者が駆けつける中、それでもしばらくの間は、自身については何も語らなかったピアノマン。
記者が撮影した下の画像は神秘的なイメージをかき立てる撮られ方をしていて、世界中に配信されました。

*画像出典:https://mikegunnill.tumblr.com/

この写真はイギリス・ジリンガムのメドウェイ病院の近くで撮影されたもの。
楽譜を持って礼拝堂まで向かう途中に記者のマイク・ガニル氏が捉え、瞬く間に世界中に拡散されました。(ちなみに、同氏はピアノマンの写真の販売で35,000ポンド(当時の日本円で約700万円)を稼いだそうです。)

ピアノマンはこの頃、特に男性を見るたびに悲鳴を上げて警戒していたといいます。

 

その後、ピアノマンは何も語りませんでしたが、病棟で過ごしながらも少しずつ心境に変化が表れて、遂に身元が判明することになります。

 

ピアノマンの真相

4月にピアノマンが発見され、なんと8月19日までひと言も話さなかったそうです。

7月末までは、看護していたスタッフは、ピアノマンは咽頭を損傷したか、何者かによって取り外されたかと考えていたそうですが、8月19日の朝に掃除係のスタッフがいつものように「今日は、私たちと話をするつもりはある?」と尋ねたところ、「そうなると思う。気分が悪い」と突然に回答しました。

 

そこからピアノマンは自身に関する多くの真相を告白します。

 

・本名はAndreas Grasslアンドレアス・グラッセル)。

・ピアノマン騒動の時は20歳で、出身はドイツのバイエルン。

・フランスからイングランドに渡り、海で自殺をするつもりだった。

・家族は農業を営む両親と2人の姉妹がいる。

 

突然の告白に驚いた医師、看護師などのスタッフでしたが、当然に外国人であることが分かったならば、通報しなければなりませんでした。

翌日、8月20日にはドイツに帰国。

ドイツ外務省はピアノマンが確かにバイエルン州の出身であることを確認しており、実家に帰ることとなりました。

 

パスポートなどの書類を一切持っていなかったため、通常であれば逮捕されるはずですが、医師はピアノマンが重度の精神障害を患った病人であるという診断書を出していたそうです。

 

ピアノマンがシーアネスの海岸で見つかるまでの真実

ピアノマンことアンドレアス・グラッセルは、1985年にドイツのバイエルン東部のヴァルトミュンヘンにある村、プロスドルフというところで生まれ育ちます。

両親はピアノマンが20歳の時にそれぞれ父(ジョセフ)が46歳、母(クリスタ)が43歳。
農家(酪農家)だったそうです。

*ピアノマンの実家と言われているドイツの建物。

息子であるグラッセル(ピアノマン)が失踪した当時は、毎日のようにグラッセルがどこかで無事に生きていることを祈りながら生活していて、「息子のことを考えて拷問のように苦しい毎日だった。どこかで死んでいるのならば、その死を受け止める覚悟は出来ている」という状態だったと取材で語っています。

グラッセルは、ドイツの都市・ザールブリュッケンで障害者と働いたあと、フランスに留学すると両親に告げてそのまま音信不通になっていたそうです。

 

8月20日にドイツのミュンヘン空港で、ピアノマンと両親は再会することになりましたが、ピアノマン自身も再会を喜んだそうです。

また、ピアノマンは父親に対して「僕は今、世界中で有名になってしまった。お父さんも知っているでしょう。」と語り、精神的にとても落ち着いていたことが分かりました。

 

ただ、いくつかおかしなこともあります。
ピアノマン(グラッセル)は初めてイギリスで会話をした日に、「ドイツからパリ、そしてイギリスに電車で移動して、シーアネスの海岸で自殺を図った」と語りましたが、その後は「失踪してからの記憶はなくなった」と述べています。

いずれにしても、パスポートを所持して電車でイギリスまで渡ったことは間違いないようです。

 

ピアノは弾けた?精神が病んだ理由は?

グランドピアノの絵を描き、ピアノをプロのように弾きこなすことができたと言われるピアノマン。

しかし、残念なことに、あれだけ報道や取材が過熱していたものの、ピアノを演奏している映像や音源は一切出回りませんでした

 

そのため、ピアノマンは実はピアノを弾けないのではないか?という情報もいくつか見られるようになりました。

 

結論から述べれば、実際はピアノは弾けるがピアノマンと言われるほど上手ではないという事が判明しています。

 

ピアノマンは2005年8月19日に初めて会話をした時に、「本当の私はピアノは弾けない」と語ったそうです。

しかし、後にピアノマンの父親であるジョセフは「息子はピアノが弾けます。アコーディオンなども得意で、妹ともキーボードを一緒に演奏していましたよ。キーボードは10歳から始めました」と語っており、プロ級ではないけど、ピアノが弾けるという事は間違いなさそうです。

さすがに何もない状態からグランドピアノの絵を上手に描けるなんて、ずっとピアノに触れあってきた証拠で、まったく弾けないという事は有り得ないでしょうね。
実際にピアノマンの演奏を聴いた人も多く、イギリスで療養中に、教会で演奏するときは牧師が停止を求めても弾き続けたと言っている取材記事もありました。

 

また、どうして自殺を図るほど精神的に病んでいたのか?を調べてみました。

*ピアノマンが104日間も療養していたイギリスのリトルブルック病院

4か月以上に渡り、イギリスの病院で療養していたピアノマンですが、失踪の原因は結局は何も分かっていません。

ピアノマンに精神的な病気が確認されているのは間違いないそうで、彼を診察した一部の医師は自閉症だと指摘していました。

 

記憶喪失については、ピアノマン自身が本当であるらしく、「保護された時は自分の名前すらも思い出せなかった」「どうやってシーアネスに行ったかも覚えていないがフェリーに乗ったと思う」「会話を始めてした日は、目覚めた時に自分が誰であるかを悟った」と、父親に言っていたそうです。

 

精神が病んでしまい、放心状態でイギリスまで渡り、自殺を図ったが発見されたというのが、実際のところだという見方が強いです。

 

何故、精神を病んでしまったのか。

ピアノマンはゲイ(同性愛者)であることも判明していますが、それに関係する精神的なダメージがあったのか、、それとも20歳で大人になって、将来を悲観してしまったのか、原因は分かっていませんが、もともと自閉症だったという可能性も高く、多重人格だった可能性も海外のネットでは指摘されていました。

 

真相は不明のままですが、一部の記者は、「彼(ピアノマン)は全て自作自演。目的は不明だが、精神病棟に長い間滞在しており、精神障害者と一緒に行動していたため、彼らの行動を模範して精神障害者を装っていた」と指摘しています。
今もまだ真相はわかっていません。

ピアノマンの父親は「息子は本当はゲイではない」とも語っているため、全てを装っている可能性は確かにありそうですね。

 

無事に家族の待つ母国に帰り、日常を取り戻したピアノマンですが、その後と現在はどうしているでしょうか。

 

ピアノマン騒動のその後と現在

2005年4月から連日、世界のメディアに登場したピアノマン。

ドイツの農村出身のアンドレアス・グラッセルさん20歳と判明し、実家に戻ってからもメディアは彼のその後を追っかけていました。

 

イギリスのBBCニュースによると、その後は弁護士を通じてコンタクトをとるしかなく、さらに、ピアノマンの依頼人(代理人)とされる人物しか本人の居場所を知らされていませんでした。

 

アンドレアス(ピアノマン)については、失踪前の学生時代にグラマースクールで文学を学んでいたことが分かっています。

また、学生時代の友人は、「アンドレアスはとても優秀な学生だった。将来はラジオやテレビ、ジャーナリストの道に進みたいと言っていた」と語っています。

 

家業の酪農を継ぐことはなく、その後、ピアノマンはどこに行ったのでしょうか。

 

2009年8月23日にフジテレビ系列の関西テレビ「大追跡!あのニュースの続き」で、実際にピアノマンのその後を調査していました。

取材によると、ピアノマンの実家で本人の母親(クリスタさん)は取材拒否。しかし、調査でなんとドイツからスイスに渡り、大学でフェミニズムを専門に勉強をしていることが判明しました。

 

性同一性障害や自閉症などを抱えると言われているピアノマンにとって、フェミニズムの研究は大切な事だったのかもしれません。

 

フェミニズムの勉強(ジェンダー学)は、かなり少数派の専門分野ですが、医学というよりも教育学に近い分野です。

仕事に関しては、教育学や医学に関連した研究所や企業にも進めるため、日本では馴染みがないものの、割と人気がある学科だそうです。

 

 

また、ピアノマンは騒動前の文学を学んでいる頃、インターネットのチャットで何時間も過ごす引きこもりでしたが、地元の新聞社にコラムを寄稿していたと言います。(ドイツのポップミュージックに関するコラムだった)

 

音楽、文学、フェミニズムを学び、英語とドイツ語を話せるピアノマン。

その後、どのような職業に就いたのかをイギリス、ドイツ、スイスなどのWEBサイトを何時間も何日もかけて調査したのですが、分かっていません。

 

2014年にはピアノマンを題材とした舞台「AllthePigs」(ロンドン)で、再び注目されるものの、その頃のピアノマンも何をしていたのか、分かっていないのです。

 

また、Pink Newsというメディアの取材よると、2007年にはスイスのバーゼルに移り住んで、フランス文学を学んでいたという事が分かっているので、しばらくスイスで学生生活をしていたのは間違いないと思います。

 

ノルウェーで学生をしているとか、名前を変えてオランダにいるとか、アルジェリア人と結婚しているなど、色んな国で根拠のない情報が見られましたが、どれもガセネタっぽいです。

 

正直、ここまで情報がないと、ピアノマンは現在、生きているのかも不明

ただ、唯一、確証性の高いと思われる情報で、前述のAllthePigsという舞台を行った演劇の劇団員が「アンドレアス・グラッセルはスイスで教師をしているらしいが、今もそうだと信じている。ただ、インタビューや執筆などの情報はない。彼に連絡して舞台のストーリーに協力して欲しいと考えていたけど、彼のプライバシーポリシーを尊重するためにそんなことはしないと決めた」と語っています。

教師をしているという説が今のところ、濃厚と考えていいでしょう。
音楽の先生なのか、文学なのか、フェミニズムなのかは分かっていません。

 

2024年に週刊誌がピアノマンの今を追跡した!

2024年5月の記事で、週刊新潮がピアノマンの現在を追跡しました。

・ピアノマンの地元の新聞記者に連絡したところ、現在はドイツの地元で暮らしていると回答した。

・だが、どのような生活を送っているのかは町役場の人も分からず、生きていることは確かである模様。

ということが分かったそうです。

これでは、本当に地元で生活しているのか判然としませんが、誰も知らないところでひっそりと生活していることは間違いなさそうですね。

 

いつか、日本のテレビ番組が取り上げてくれるといいんですが、とりあえず、精神病を克服して幸せにしているといいのですが・・・。

 

ピアノマンの現在については、新しい情報が入り次第、すぐにこちらのページで更新予定です。

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