パウロ・ロベルト・ファルカンとは
*出典元:サッカー日本代表大百科
1970年代後半から1980年代中期までブラジル代表として活躍していた人物です。
フットサルのブラジル代表の【皇帝ファルカン】こと『アレッサンドロ・ローザ・ヴィエイラ』とは呼び名は一緒ですが別人物です。
クラブでは、【FIFAクラブワールドカップ】でも優勝経験のあるインテルナシオナルというブラジルの有名クラブに所属していました。
1980年までインテルナシオナルに所属しており、その後は、ローマに移籍し、1985年まで活躍していました。
ローマ時代には、サポーターから【第8代ローマ王】と呼ばれ高い評価を受け、【UEFAチャンピオンズカップ】で準優勝にチームを導いています。
1985年にローマからブラジルのサンパウロに移籍しており、翌年の1986年まで選手として活躍していました。
ブラジル代表にも選ばれており、1982年にはワールドカップにも出場し、ジーコ、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾと一緒に【黄金のカルテット】と評価されていました。
ですが、ジーコの控えということでブラジル代表での通算記録は、36試合で9ゴールと少なめの成績です。
動画はファルカンのスーパープレイ集です。
【走る指揮官】という異名を持っており、卓越した戦術眼を兼ね備えていたため、1986年に現役を引退した後には名監督になるだろうと言われていました。
現役引退後は、1990年から1991年までサッカーブラジル代表の監督に就任し、カフーなどの若い選手を代表に選出し、1991年の【コパ・アメリカ】で準優勝という成績を残していますが、1年で解任されています。
ブラジル代表の監督として活躍して以降は、メキシコのクラブ・アメリカや自身も選手として活躍していたインテルナシオナルの監督に就任しています。
サッカー日本代表監督に就任
1994年にオフト監督の後にセルジオ越後を通じて日本代表の監督に就任しています。
監督就任後は、数年後の成長を狙い、『小倉隆史』や『前園真聖』などの若い選手を日本代表に抜擢してます。
ファルカンは、選手の自主性に任せるという戦術を執っていましたが前監督のオフト監督と戦術が全く違うことで選手が戸惑ってしまっています。
キリンチャレンジカップでフランス代表と試合を行いましたが結果は惨敗。
その後のアジア大会では準決勝で韓国代表に敗北し、日本代表の監督を解任されています。
日本代表の監督として結果を残せてはいませんが、【フラット型4-4-2】というフォーメーションを試しており、当時の最先端の戦術を導入しようとしていました。
日本代表の監督としての期間は短く9ヵ月くらいでした。
日本代表監督を解任されて以降は、オフト監督のようにJリーグの監督にはなりませんでした。
ファルカン監督の現在
成績不振ということで日本代表監督を解任されて以降、2011年まで監督として活動していなかったですが、1996年から2010年までブラジルのテレビ局で解説者として活躍していました。
さらに、テレビだけでなくラジオでも活動しており、サッカー選手のインタビューを毎週行っていました。
2011年には、再びインテルナシオナルの監督に就任し、2012年にはブラジルのクラブ、ECバイーアの監督に就任しています。
その後、2015年にはブラジルのスポルチ・レシフェの監督に就任していますが、2016年には再びインテルナシオナルの監督に就任しています。
日本代表監督、解任後は解説者として活動し、2011年に再び監督として活動しだしたファルカン監督ですが2016年以降は監督として活動していませんでした。
そして、2023年、思わぬ形でメディアに露出してしまいます。
2023年に性的暴行疑惑でニュースになる。
2023年、それまでサントスというブラジルのチームのスポーツディレクターという職に就いていましたが、突如辞任。
2022年にその役職に就いて取締役会と技術委員会の間の役割を担うことになっていたのですが、不祥事が発覚したためです。
原因は性的暴行疑惑がきっかけです。
一部報道では「セクハラ疑惑」という表現だったものの、実際は性的暴行の告発を受けていました。
住んでいたアパートの受付係から告発されたのですが、ファルカンは「告発をメディアで知った。非常に驚いた」と表現しています。
実際はどうだったのかというと、2カ月の捜査のすえに「嫌疑不十分」として捜査は終了。
ファルカンは無実だったということが証明されましたが、ここまではあまり報道されなかったのは少しかわいそうですね。
ファルカンは今は何もしていない。自由な生活?
2024年のパリオリンピックではブラジルのチームの活躍をインスタに載せたりしており、テニスなどの他の競技にも興味を示す投稿を繰り返しています。
現在は監督業はほとんどありませんが、サッカー協会での活動やメディアでの出演なども少しあるようですね。
2022年の雑誌の取材では、「私は膝が悪いから現役復帰は難しいが、監督をする元気も気力もまだまだある」と答えています。
つまり、監督のオファーがないともとれます。
20世紀の偉大なサッカー選手にも選ばれた人物なのですぐに監督として起用されていきそうですね。
Jリーグでの監督経験はないのでJリーグでの監督として再び日本で活躍してくれることも期待したいです。