日本で初めてレゲエミュージックでオリコンチャート1位を記録したレゲエ界のパイオニア。
HIP HOPカルチャーが根付いた頃に、日本の音楽シーンに降臨した三木道三の現在と様々な噂の真相を徹底的に調べてみました。

「Lifetime Respect」がヒットするまでの三木道三

1970年2月12日生まれ、大阪や奈良のベッドタウンとして知られる奈良県生駒市出身。
学歴は不明ですが、22歳になるころ当たりから奈良県内や京都で音楽活動を開始しました。

*画像出典:アマゾン

1993年にジャマイカに行った際にレゲエにどっぷり浸かります。そして帰国後は大阪を拠点にレゲエDJとして活動し始めました。

 

1995年、「JAPAN一番」という楽曲を初めてリリースします。
Lifetime Respectが大ヒットする6年も前の話です。

Youtubeに音源がアップされていたので、どうぞ。

*出典:Youtube

当時はあまり人気のなかったコテッコテのレゲエ調で、ラップでメッセージを伝えていますが、ジャマイカに行くなどいろんな経験をした三木道三だからこそ日本を誇る内容のリリックです。

しかし、インディースでの発売だったこともあり、売れ行きは芳しくありませんでした。

 

 

1995年にサンフランシスコで大事故を起こす

レゲエアーティストとして活動し始めた1995年、サンフランシスコで大きな事故に見舞われてしまいました。

友人が運転する車の助手席に乗っていた三木道三は、走行中にコヨーテというキツネに似た動物が飛び出してきて、それを避けようとして車が横転。

フロントガラスを突き抜けて30mも飛ばされてしまい、入院。
さらに不幸は続き、入院先でアレルギーのある赤身魚を食してしまって、アナフィラキシーショックを起こしてしまいました。

そんな中、無事に手術を成功させ、日本に帰ると音楽活動を再開。右ひざにボルトを入れた状態、顔の骨に腰の骨を移植するほどの大きな手術でしたが、この事故をきっかけに活動を加速させたそうです。

 

 

1996年からは多くの楽曲をリリースし始めました。

(大阪を中心に活動しながらLifetime Respectまで6年間で20もの楽曲を提供し続けています。)

 

1998年には全国ツアーを回るほど知る人ぞ知るアーティストになり、翌年1999年には「大和RECORDINGS」というレーベルを立ち上げました。

2000年8月には「斬る!ジャパニーズ」という楽曲でメジャーデビューします。

*出典:Youtube

このメジャーデビューをきっかけに全国47都道府県でのツアーも敢行。

当時あまり注目は浴びていませんでしたが、日本のレゲエ界で着実に実力と名声を付けていきました。

 

Lifetime Respectの大ヒットの前に「太陽」という楽曲をリリースしていますが、それはオリコンで27位の売り上げになるほど、ヒットしていました。

そして、満を持してリリースしたLifetime Respectが大ヒットし、90万枚の売り上げを記録するなど、国内でも大物のアーティストとなりました。

 

 

Lifetime Respectのヒットと当時の三木道三

三木道三の代表曲となったLifetime Respectですが、発売は2001年5月。

日本人にとってレゲエがあまり浸透していなかったことと、一般的に三木道三が知られていなかったこともあり、発売時のオリコンチャートは23位。

その後、有線などでも再生されたり口コミで広がり、発売5週目にしてようやくオリコン1位を獲得することとなりました。

結果的にミリオンにはあと一歩届かず、90万枚の売り上げを記録することになりましたが、ミュージックステーションに初登場するなど、話題性は抜群。

HIP HOPはZeebraやDragon Ash、Kick the can crew、リップスライムなどの影響で人気はありましたが、当時のレゲエミュージックで売れたアーティストは三木道三くらいでした。

(ちなみにケツメイシもレゲエというカテゴリーと言われることがありますが、ケツメイシの場合はジャパニーズレゲエというカテゴリーで、どちらかというとJポップとHIP HOPとレゲエが合わさったような感じでしょうか。たしか、ミクスチャーと呼ばれていましたね)

 

 

ミュージックステーションでの三木道三

Lifetime Respectでヒットしたために呼ばれたミュージックステーション。

タモリを横に、三木道三やその楽曲などの紹介が始まるとまずコメントで

「くんくん…くんくん…一発屋の匂いがするぞ

と自虐的に笑いをとる発言。

 

その後は、Lifetime Respectを生で披露することになりましたが、実はLifetime Respectは高音が続くところが多く、音階が平均的に高いため、少しハズしてしまっていました。

 

当時の三木道三は多くのメディアや雑誌に引っ張りだこで、連日の疲れがあったと思われます。

というのも、ライブでは音域をハズすことはあまりないそうです。

 

ミュージックステーションの放送後もLifetime Respectの売り上げは伸びていったのですが、Mステの登場はその1回きりとなってしまいました。

 

 

2001年大ヒット。その後の三木道三

Lifetime Respectの発売は2001年5月でしたが、一躍トップアーティストとなった三木道三が次に楽曲をリリースしたのは2001年8月。

SUMMER RIDDIM’01 という楽曲なのですが、MOOMINというアーティストとリリースしました。

 

MOOMINは綺麗な声を持つレゲエ歌手。
三木道三よりも2つ年下ですが、当時のレゲエ界でも三木道三に次ぐ有名なアーティストでした。

日本のレゲエ界のTOP2の二人による楽曲も、Lifetime Respectほどのヒットはなく、オリコンチャートでは最高で33位。

 

この頃から三木道三はテレビやメディアでの露出は激減。

全国ツアーをするなど、活動は積極的でしたが、CDのリリースはほとんどなくなってしまいます。

その後は2002年にフューチャリングで「I Say」という曲をリリースして以降、引退。
遂に、あの人は今状態になってしまいました。

 

 

 

なぜ?三木道三は引退し、あの人は今状態になったのか?

前述の通り、大きな事故を起こしていた三木道三ですが、トップアーティストとして活動する中で、体は悲鳴を上げていたそうです。

自律神経をおかしくしてしまったそうで、それでも活動していたこともあり、常に引退の2文字は頭にあったことでしょう。

古傷の治療といろんなアーティストとの楽曲制作にかかわり、逆流性食道炎まで起こしてしまうほど、最悪な状態。
現在でも体の節々が痛くなり、足のつま先が特に痛いそうです。

 

当時は、大金を手にしたことにより、働かなくても生きていけました。

それであれば、活動を減らすか、引退するかを選択するのが普通ですね。

 

ミュージックステーションで「一発屋の匂いがするぞ」と自虐的に話していたのも、「大ヒットの後はゆっくり活動しよう」という意思の表れだったのかもしれません。

 

 

株式投資で大成功?他界?離婚?逮捕?三木道三の噂の真相。

ネット上や巷では消えてしまった三木道三の噂がいろいろと飛び交っていました。

そんな噂の真相を徹底調査してみます。

 

株式投資で大成功した噂

ある噂ではLifetime Respectの大ヒットで大金を手にした三木道三が、株でボロ儲けしたという噂がありました。

大ヒットに恵まれて、その資産運用で儲かったとしたら、それこそ億万長者になっていると思われますが、有名人と言っても個人の資産の事ですので、これ以上はなかなか噂の真相がわかりません。

 

株で儲けたというのは三木道三に近しい人物からの証言だったそうですが、引退後に活動しなくても治療しながら生活できていたわけだし頭も良さそうなので、もしかしたら本当だったのかもしれませんね。

 

三木道三、他界の噂

これは嘘です。

噂の根源はどこにあるのか謎ですが、本人曰く

「『死んだ』って言うなら、今のオレは『死のふちから蘇った』ってことでしょ。ハハハ」

*引用:https://www.nikkan-gendai.com

この噂を気に入っているご様子。

さすがに大事故にあっているため、生きていることに感謝していますね。まさにLifetime Respect(人生の時間の尊敬)ですね。

 

 

三木道三は離婚したという噂と逮捕されたという噂

2009年6月に、三木道三が39歳になるころ、一般人女性と結婚しました。

初婚だったのかどうかは情報がなかったのですが、現在は離婚しているという情報がありました。

理由やお子さんなどの情報は出ていません。プライベートをあまりさらけ出さないのも三木道三の魅力なのかもしれませんね。

 

それと、逮捕の噂もネット上では多くありました。

こちらは、「大阪のレゲエ歌手が大麻所持の疑いで逮捕」というニュースが原因のようです。

もちろん、これは三木道三とは全く関係のない人物。

そもそも三木道三ほどの有名人が逮捕されたら、大ニュースになってメディアを騒がせるでしょうから、まったくのデタラメですね。

 

 

現在の三木道三(DOZAN11)に迫る!

*画像出典:https://twitter.com/dozan11?lang=ja

現在はDOZAN11として音楽シーンに帰ってきてくれました。

引退はしたものの、Lifetime Respect大ヒット後もいろんなアーティストの楽曲に毎年参加していた三木道三。

 

2014年にはDOZAN11として再出発しています。

1年以上前のトップアーティストの再活動ということもあって、2014年は大きく報じられました。

 

2015年には「再始動 Special Live」を敢行。

その年はライブや他のアーティストとの共演など、かなり精力的に活動。

 

そして現在でも全国各地でライブやイベントで大活躍中!

スペシャルゲストとして色んなクラブやライブで呼ばれているようです。

 

そして、ツイッターでは現在のDOZAN11こと三木道三のリアルタイムな情報をお届けしています。

DOZAN11のTwitterは→コチラ

 

サングラスをかけたスタイルで表情はあまりわかりませんが、レゲエ歌手らしく楽しそうにしているのが分かりますね。

ギターなどいろんな楽器も上手で、レゲエの弾き語りの動画などは必見です。

 

今ブームになっているフリースタイルバトルも観ているらしく、レゲエの良さもツイートしているなど、相変わらず日本が誇るレゲエのレジェンドとして、レゲエ愛にあふれていました。

 

 

 

2001年に日本のレゲエを一躍メジャーにした三木道三(現在はDozan11)ですが、現在もレゲエの活動をしています。

2018年、2019年にはテレ朝系の「フリースタイルダンジョン」にレゲエのレジェンドとして審査員にも登場していました。

 

 

三木道山はYoutubeを2014年からやっていた!?

三木道山は実は2014年からYoutubeアカウントを開設していました。

現在もYoutuberというほど頻繁に動画を配信している訳ではないのですが、音楽に関する動画ばかりアップしています。

 

その中でも、コロナ禍で政治に注文をしていたこの動画は必見。

当時は限定的な給付金の配布や、マスクの配布、商品券やクーポンの配布に対して世間の声はどんどん大きくなっていた時期でした。

その中で、日本を救うために現金支給が必要だと訴えた歌。

 

ヒットソングのLifeTime Respectの歌詞を、ピッタリのリリックに変えているのがさすがですよね。

また、今の三木道山の声も20年前と変わっていませんね。

っていうか、この動画、もっとバズっても良いくらいクオリティが高いです。

 

三木道山がリリースした音楽アプリとは?

DOZAN11が制作を手掛けたmupicというアプリ。

画像からAIが音楽を作るという画期的なアプリで、2019年にリリースされました。

ダメだししようと思っていましたが、これ、本当に凄いアプリでした。

画像に合わせて自動でオリジナルの音源が生成されるようなイメージで、画期的というよりも革命的といえるほど、凄いアプリです。

 

三木道山が制作に携わって3年経ったと言っていたので、やはり完璧なアプリに仕上がっていますね。

 

Appleストアでの評価も4.7とかなりの高評価。
ちなみに、4.0超えると高評価と言われます。

 

現在もアプリはダウンロード可能ですので、まだ入れていない人は是非無料ですのでダウンロードをお勧めします。

 

そんなこんなで、三木道山は現在はDOZAN11と改名していますが、音楽関係の仕事を継続中。

Youtubeを観る限り、現在の歌唱力も全然衰えていません。

また日本の音楽シーンを変えるほどの活躍を期待しましょう!

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