日本のスピードスター・野人、岡野の出世している現在を調査。
日本一のド根性を持った一流アスリートの現在に迫ります。日本を救い、ファンから愛され続けたフォワードは選手時代よりもどこか生き生きしていました。

野人・岡野雅行の現役での活躍

*画像出典:Youtube

1972年、横浜市で生まれた岡野。

中学校の時にはサッカーをしていて、叔父が宗教法人「崇教真光(まひかり)」の代表を務めていた岡田晃弥で、彼の勧めもあり、真光が唯一推薦する立正大学淞南高校(島根県)に入学することになりました。

 

しかし、立正大学淞南高校は当時、サッカー部はない状態に等しく、岡野が部員集めから監督まで全て執り行い、サッカー部を形成。

高校生活で島根県ベスト3に入るまで成長させました。

 

*立正大学淞南高校は、岡野がサッカー部を築き上げて、今では選手権の常連校になっています。

 

高校卒業後、一般入試で日本大学に進学した岡野は、もちろんサッカー部に入部。

大学サッカー部では俊足を生かしたプレースタイルに変更し、大学2年あたりから浦和レッズから猛烈にアプローチされ始めました。

 

大学を退学してでもJリーガーになりたかった岡野は、一番アプローチに熱心だった浦和に日大を3年生の頃辞めて(1994年に)入団することを決意します。

 

 

 

岡野のJリーグでの活躍

岡野はJリーグに浦和、神戸、鳥取に合計20年間Jリーガーとして活躍しました。

第二の故郷である鳥取では5年間在籍しましたが、1ゴールしか結果を残せていませんが、浦和時代の全盛期は公式戦年間15ゴール決めるなど、活躍しました。

 

入団当時から注目されていた野人の特集があったのでどうぞ。

*出典:Youtube

ご存知の通り、日本代表に選ばれるくらいの素質があったのですから、凄いことには変わりないのですが、周りからの評価は決まって

 

「技術面に問題ありだけど、チャンスを作れるスピードがある」

 

でした。
下手だけど、足速いから使える的な評価なのですが、これはファンにとっても百も承知。

日本代表に選ばれたときも、ロングボールやクリアに反応できるウィングのようなポジションで適用されると思われていました。

 

 

日本代表で起こした岡野の奇跡

日本が1998年フランスワールドカップ本戦に出場したのは、日本サッカー市場で初めての事でした。それまでアジア予選を通過できたことは一度もなかったのです。

 

アジアの予選では野人・岡野が奇跡を起こしました。

 

ジョホールバルの歓喜です。

 

アジアでは当時、3枠ありましたが韓国とサウジアラビアが本戦出場を決定していて、イランと日本もう一枠を争う戦いがマレーシアのジョホールバルで行われました。

2-2で迎えた延長後半13分。

 

それまで、幾度となく決定機を外していた岡野ですが、中田のシュートのこぼれ球に反応して、ようやく試合に決着を付けました。

*出典:Youtube

 

中田は「ようやく決めたなぁ」というような疲れた表情をしていますね。

 

結果はどうであれ、岡野は日本のヒーローとなり、「野人・岡野」という名前を一気に全国に知らしめました。

 

ちなみにイランはプレーオフでオセアニア代表のオーストラリアに勝ち、イランも本戦出場決めたんですけどね。

 

 

フランスワールドカップでは、日本はアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカと同組になり、1勝もできませんでした。

 

 

サッカー選手引退後の岡野雅行

高校時代に親しみのあった第二の故郷である鳥取。

野人・岡野はこの鳥取のJのチームである「ガイナーレ鳥取」に5年ほど在籍し、そのまま現役を引退することになりました。

 

サッカー部のない高校でサッカー部を作り、県3位にまでなって、無名選手のまま大学に進み、スカウトされ、日本代表にまでなった岡野のサッカー人生は2013年に幕を閉じます。

 

 

知名度とユーモアのある性格を活かして、前園や武田修宏のようにテレビタレントでも活躍できると思ったのですが、なんと、引退してすぐに(2014年)ガイナーレ鳥取のGMになってしまいます。

(ガイナーレ鳥取では2011年まで竹鼻快さんという方がGMを務めていました)

 

 

【GM(ジェネラルマネージャー)のお仕事】

・チームを金銭的にサポートするスポンサー企業への営業
・監督やコーチなどの選定や、選手も含めたスカウトなど
・その他、経営に関する全般

ま、自分のクラブチームになっちゃったってことですね。もちろん経営権があるわけではありませんのであしからず。

名刺を持って現在も仕事をしているようです。

 

知名度を生かして、集客もできるし営業もしやすいわけで、ガイナーレ鳥取としては岡野がGMに就任したことはとても助かったと思います。

Jリーグ辞めてからJリーグ功労選手賞を受賞を受賞していますし。

 

 

 

そして現在はガイナーレ鳥取の代表取締役GMに!

J1昇格を目指して頑張っていたガイナーレ鳥取ですが、J3に降格してしまいます。

岡野がGMになってから、、という皮肉な結果であったものの、経営陣に働きが評価されて、現在もガイナーレ鳥取の代表取締役GMとして活躍中。

代表取締役には2017年4月に就任しました。

 

*出典:Naverまとめ

 

現在では知名度を生かして、地元の商品をガイナーレ鳥取と野人・岡野の名前を使ってPRするなど、社会貢献度はかなり大きいです。

 

それだけではなく、NPO法人スポーツオフィスワンという広島の非営利団体の副理事長を務めていて、スポーツを通じて健全育成と福祉の増進を目的とした組織でも名を連ねています。

 

 

住まいは鳥取県

ガイナーレ鳥取に選手で移籍した2009年からずっと家族と一緒に鳥取に住んでいるそうで、コンビニとかで話しかけられることもあるそうです。

田舎のコンビニに、元日本のスーパースターがいたらビックリしますよね。

 

2017年に行われた鈴木啓太の引退試合では、少し太った様子が分かりますが、監督が岡田監督だったこともあり、ジョホールバルの歓喜を再現していて、ファンの間で話題になっていました。

鳥取からこの短い出場時間のために参加するなんて、やはり野人ですね!

 

ちなみに、岡野は個人的なお金をガイナーレ鳥取に投資しているらしく、現在だけでなく、今後もガイナーレ鳥取が盛り上がるために経営・運営を頑張っていくものと思われます。

 

 

現在は鳥取で事業、ガイナーレ鳥取の代表取締役GM

鳥取県で芝生を育て販売するプロジェクト「Shibafull」をスタートした岡野。

鳥取は芝生を育てるのに適した気候と土壌であることから、そこに着目したそうですが、クラブチームでも芝生は活用できる上に、地元の保育園などにも芝生を提供しているそうです。

ShibafullはGTベンチャーズという鳥取の会社が運営していますが、ガイナーレ鳥取ともつながりのある会社で、ガイナーレ鳥取の代表を岡野が務めています。

サッカーを通じて社会貢献をする姿勢は、本当に素晴らしいと言えますね。

 

現在、事業以外では、サッカー関連のテレビやYoutube番組に出演することも多いです。

日本代表で活躍すると、その先何年もこういう情報は求められるし、有名になることで得られるものってたくさんありますね。

 

岡野は今後もサッカー関連の仕事を続けるでしょうが、もっと頻繁にテレビや動画で見たいですね。

また岡野の情報が入り次第、更新します。

 

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