岡田武史とは

サッカー日本代表の監督として有名な岡田さんですが、幼い頃には野球少年でした。

かつて大阪市に拠点を置いていた【福岡ソフトバンクホークス】の前身【南海ホークス】というプロ野球球団が運営していた【南海ホークス子供の会】に入会しており、野球に明け暮れていました。

 

ですが、中学生になり野球部の上下関係が厳しいことで当時注目を浴びていたサッカーにのめり込むようになっていきます。

 

ドイツに行きプロになる!と言い両親を困らせるほどにサッカーに熱中していました。

高校3年生には進学校で全くの無名の高校ながらユース代表に選出され、アジアユース選手権に出場しています。

高校は大阪の天王寺高校。偏差値が75もある日本でもトップクラスの頭の良い学校です。

 

高校卒業後は浪人生活を1年し早稲田大学政治経済学部に入学し、高校時代にユース代表に選出されていながらもサッカー同好会に在籍していました。

 

ですが、日本サッカー協会の関係者の方々から説得をされたことでサッカー部に入部し、大学時代にユニバーシアード日本代表に選ばれています。

 

 

古河電工時代~日本代表デビュー

大学卒業後は、マスコミ業界へ就職を希望していましたがマスコミ業界に就職することはできず、1980年に【古河電工】に就職しています。

 

古河電工では働きながら【古河電気工業サッカー部】という後の【ジェフユナイテッド千葉】で大学時代から変わらない頭脳派ディフェンダーとして活躍しており、就職した1980年にはサッカー日本代表に抜擢されジャパンカップで【エスパニョール】との試合で日本代表デビューしています。

 

1982年には当時日本代表の主将を務めていた『前田秀樹』が怪我で参加が難しくなったことで日本代表に追加召集され、韓国との試合で代表初ゴールを決め、これが自身の代表唯一のゴールとなっています。

 

1984年にも日本代表に選ばれ、レギュラーになる予定でしたが怪我で負傷したことでベンチとなってしまっています。

日本代表に選出されて以降も古河電気工業サッカー部で活躍しており、1986年には日本チームでは初めてとなるアジアクラブ選手権優勝という成績を残しています。

 

日本代表でも活躍し、古河電気工業サッカー部でもアジアクラブ選手権優勝などの成績を残していますが、1990年に【ゼロックス・スーパーサッカー】で日本リーグの選抜に選ばれ【バイエルン・ミュンヘン】と試合をしています。

 

この試合に1-2で敗れたことで海外のトップチームとの力の差を痛感し、現役引退を決意しています。

 

 

 

現役引退から指導者へ

バイエルン・ミュンヘンとの試合で世界との差を痛感したことで自分が世界で活躍する選手に追いつくではなく、どう指導すればこの選手たちに勝てる選手を育てられるかに関心が移ったことで現役を退き、指導者になっていきます。

 

自身も所属していた古河電気工業サッカー部のコーチに就任し、指導者として歩み出していますが1992年にはドイツにコーチ留学に行き、翌年1993年にJリーグが発足したことでサッカーに熱狂している日本に戻ってきています。

 

日本に戻ってきてからは、古河電気工業サッカー部が母体となっている【ジェフ市原】でコーチとしてプロ契約をしています。

 

サテライトチームに携わっており、コーチとしても活躍していましたが解説者としても活動しており、ドーハの悲劇と呼ばれているワールドカップアジア最終予選のイラク戦の解説を田島幸三さんと務めています。

 

 

サッカー日本代表監督に就任

『加茂周』が日本代表を務めている時に日本代表のコーチに就任していますが、日本代表のコーチの話が来た時にはジェフ市原のコーチに専念したいと断ろうとしていました。

その時、オフト監督の元で日本代表のコーチを務めていた『清雲栄純』に薦められたことで日本代表のコーチに就任することになっています。

 

1995年から加茂ジャパンのコーチを務めていましたが、フランスワールドカップ最終予選でアジア予選敗退の可能性が大きくなってしまったことで代表初として予選途中で加茂周が代表監督を解任され、コーチを務めていた岡田が日本代表チームの現状を知っているということで代理監督に就任しています。

 

代理監督としてウズベキスタン戦で指揮を執り引き分けに持ち込んでいます。

その後、加茂と話し合ったことでコーチから監督へ昇格。

 

監督へ昇格して以降は、日本代表から外れていた『中山雅史』を招集するなどテコ入れをしたことでイラン代表との第3代表決定戦でゴールデンゴール方式の延長戦までもつれ込み、野人『岡野雅行』を投入し、岡野がゴールを決め見事3-2と勝利を上げ、ワールドカップ本選出場を決め、本選の監督にも任命されています。

*出典元:youtube

1998年フランスワールドカップ直前に調子の悪かった『三浦知良』や『北澤豪』をメンバーから外し、本選に挑み、決勝トーナメント入りを目指していましたが本選は3戦全敗でグループリーグ敗退し、テクニカルレポートの作成を監督の最後の仕事とし、代表監督を退任してます。

 

 

コンサドーレ札幌~横浜F・マリノスの監督就任

ジョホールバルの歓喜】という奇跡を起こしましたが、本選は1勝もできずにグループリーグ敗退という結界に終わり、日本代表監督を退任した岡田監督ですが1999年にJ2降格となってしまった【コンサドーレ札幌】の監督に就任しています。

 

日本代表監督を務めていた岡田監督がJ2のチームに就任したことでかなり注目されていましたが、1年ではJ1に復帰することができず、J2の5位に終わっています。

 

チームの戦術や選手の意識、スカウティングなどを自ら行い、改革を起こしていき、翌年2000年にJ2優勝し、J1復帰を果たしています。

2001年にはJ1リーグで11位という結果を残し、チームをJ1残留させ監督を辞任しています。

その後は、サッカー解説者として活動し、トルシエ監督退任後の日本代表監督候補とも噂されていました。

 

ですが、日本代表監督にならず2003年に【横浜F・マリノス】の監督に就任しています。

1年目から1stステージ、2ndステージ優勝を飾り、完全優勝の栄冠を手にし、翌年2004年の1stリーグも優勝し、Jリーグ史上初の3ステージ連覇という偉業を成し遂げ、【サントリーチャンピオンシップ】で浦和レッズに勝利し、2年連続年間王者という成績を残しています。

 

 

2005年にはAFCチャンピオンズリーグやA3チャンピオンズカップなどの過密スケジュールや主力メンバーの代表招集なども重なり、9位という成績に終わっています。

 

この成績で監督辞任なども噂されていましたが監督を続投し、2006年には開幕4連勝という結果を残しましたがチームコンディションが悪化し、自力での優勝が消滅したことで監督を辞任しています。

 

 

再び日本代表監督へ就任

2007年に当時サッカー日本代表の監督を務めていたイビチャ・オシム監督が急逝脳梗塞で緊急入院となってしまいW杯予選の指揮を執ることが難しくなったことで日本代表の後継監督して代表監督へ就任しています。

 

2009年にはグループAを2位通過し、4大会連続4度目の本大会出場を決めています。

 

2010年南アフリカのW杯では、ベスト4入りを目標としていましたが、直前の国内組で挑んだ試合で思うような成績を残せておらず名だたるサッカー評論家たちがフランスワールドカップと同じように1勝もできず、グループリーグ敗退と予想している中、本選グループリーグを2勝1敗という結果を残し、決勝トーナメント進出を果たしています。

 

日本サッカー界史上初のベスト8進出をかけたパラグアイ代表との試合を行い、PK戦の末敗北しています。

下の動画は、南アフリカW杯のハイライトです。

本選が始まるまでに酷評を受けていた岡田監督ですが、W杯で結果を残せたことで【名将】などの高い評価を受けていました。

そして、W杯終了後に日本代表の監督を退任しています。

 

 

サッカー日本代表監督退任後

南アフリカW杯で結果を残し、監督を退任した後は、日本サッカー協会の理事に就任

さらに、解説者としても活躍していました。

しかし、2012年には【中国サッカー・スーパーリーグ】の【杭州緑城足球倶楽部】に指導者として復帰していますが2013年には契約を1年残して退任し、当分監督に就任しないことも発表しています。

 

 

岡田武史の経営者としての現在

*出典元:海外サッカー日本人選手速報 WORLD SAMURAI

2012年に中国のクラブ杭州緑城足球倶楽部の監督を退任していこう監督として活動していない岡田監督。

2014年に【デロイトトーマツコンサルティング】という会社の特任上級顧問に就任しています。

さらに、同じ時に内閣府の【選択する未来委員会】の委員に就任し、教育問題に取り組んでいました。

同じ年に四国サッカーリーグの【FC今治】の運営会社【株式会社今治.夢スポーツ】の代表取締役になり、FC今治のオーナーになっています。

当社のHPにも代表取締役会長として岡田さんの名前が掲載されています。→こちら

 

2014年に特任上級顧問やFC今治のオーナーに就任している岡田さんですが、同じ年に内田篤人と対談も行っています。

*出典元:youtube

FC今治のオーナーとして活動している岡田さんですが2015年にアギーレの解任がささやかれていた時に次期監督としても注目されていました。

しかし、日本代表にかかわることはないですとコメントしていました。

 

2016年には、【株式会社今治.夢スポーツ】の代表取締役会長に就任し、【日本エンタープライズ】の取締役にも就任しています。

さらに、同じ年に【日本サッカー協会】の副会長に就任しています。

 

さらにさらに、現在はそれに追加して、城西国際大学特任教授、さらに、ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ理事という役職まで。
高学歴で頭の良い人ですので、何でもこなしています。

 

経営者として活動している今でもFC今治の代表取締役会長になっているのでサッカーには今も関わっていますね。

 

FC今治は、JFLというカテゴリーながらもオフィシャルパートナーにはEXILEが所属している【LDH】や【三菱商事】などの豪華な名前も入っており、岡田さんの凄さがわかりますね。

他にも解説者や講演、対談なども行っており、【火花】で注目を浴びた芸人の『又吉直樹』さんとも対談をしていました。

 

今はまだJFLというカテゴリーにいるFC今治ですがいつかJ1に上がることを期待したいですね。

 

FC今治のオフィシャルサイトはこちら。

 

最近はテレビに出ることは少なくなった岡田さんですが、現在は経営者として活躍していました。

監督復帰は、もうほぼ無いと思いますが、新たなチャレンジを続けているので岡田さんの新しい顔を見れるかもしれません。

 

解説者という立場で試合の解説に登場することも期待したいですね。

たまにYoutubeやテレビでも↓のような対談をしているので、サッカーしている人は見ると勉強になると思います。

以上、岡田武史元日本代表監督の現在でした。

新しい情報が入り次第、更新します。

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