江藤智とは?
現在も記憶に新しい広島のホームランバッターと言えば、江藤智。
寡黙というよりもポーカーフェイスでホームランを打っても淡々とダイヤモンドを一周する光景は懐かしいです。
*画像引用:読売巨人軍
智と書いて「あきら」と読みますが、現在の野球ファンでもあまり読み方は分からないかもしれませんね。
1970年生まれ、もう50歳になりますが、高卒でドラフト5位で広島に入団しました。
広島のイメージが強いだけに、東京出身とはあまり知られていません。
あと、高校時代はキャッチャーだったと事もあまり知られていないですね。
関東高校(現在は聖徳学園高校)では甲子園出場はありませんでしたけど、谷繁と並んでスカウトの中では注目されていた選手だったそうです。
広島→巨人→西武
子供の頃は西武ライオンズのファンクラブに入るほどの西武ファンでした。
強打の捕手として有名でありながら、中日に入団することになる谷繁がフォーカスされて、打撃の評価は高かったのですがドラフトではなかなか引っかからず5位で広島に入団。
キャッチャーとして入団しながら、2年目に初めて1軍登録されるとその時の守備位置は外野。
入団した1989年は1軍の出番はなく、1990年に外野で出場すると一塁手としても守備位置を変えながらコンスタントに1軍での出場を果たします。
結果的に守備位置は三塁手となりますが、高校時代に通算61本も打った強打は磨きをかけて、プロ5年目となる1993年に本塁打王に。
数々の名場面を残しています。
*Youtubeより
その後もホームランを量産し続け、現在も記憶に新しい江藤智。
やはり野球ファンの記憶に現在も残っているユニフォームは巨人のユニフォームかもしれません。
2000年に巨人には入団しました。
しかも、当時の長嶋監督が背番号33番を江藤に譲るほど、超大物選手として入団しています。
その期待に応えるように巨人でも大爆発。
初年から32本のホームランを放つと、2年連続で30本以上のホームランを記録。
しかし、これだけのホームランバッターでありながら、清原、松井、そして巨人の監督をした高橋慶伸などがいたこともあり、スタメン4番はありませんでした。
その後、西武ライオンズに入団し、2009年を最後に現役引退。
かずかずの伝説的な仕事を果たしていながら、サヨナラ本塁打はゼロ。
サヨナラ本塁打を打ったことのない選手で史上1位の本塁打数を誇るあたり、寡黙なスーパースターという様な印象が強いですね。
引退後の江藤智
さて、西武ライオンズで選手としての活躍を終えた江藤智ですが、引退後は巨人の2軍の育成コーチに就任します。
巨人がスター選手を在籍させるのは現在でも有名ですが、江藤は引退後すぐに採用される当たり、巨人の心意気というか江藤に対する評価を感じますね。
育成コーチを1年ほど務めた江藤は2011年に1軍の打撃コーチになっていて、坂本勇人や長野久義などを指導。
残念ながらその年は巨人はセリーグ3位という結果に陥ってしまいますが、徐々に江藤打撃コーチの成果は出てきて、2012年には10ゲーム以上の差をつけて優勝。
現在も在籍している選手が主軸には数名いて、その頃も阿部や坂本などの強力なバッターを擁していました。
2014年、2軍の打撃コーチに回されますが、これもバッターを育成するためのジャイアンツの方針。
そして、2016年にまた1軍の打撃コーチに就任することになりました。
1軍と2軍を股にかけて打撃コーチを努めており、現在も活躍する選手を多く育てました。
2018年から現在も江藤智は巨人の3軍監督
現在、江藤智は巨人の3軍監督として活躍しています。
3軍と言ったら弱小チームに感じるかもしれませんけど、読売ジャイアンツという常勝軍団の3軍ですので、社会人野球チームよりも遥かに力はあると思われます。
オフシーズンでも他のプロ野球チームと対戦したり、社会人野球チームとも試合を行ったりします。
現在3軍の監督となった江藤は、2軍に昇格させるべき選手を推薦したり、チームの采配などを指揮する立場。
今後は1軍の打撃コーチ時代よりもメディアなどでフォーカスされることは少なくなるとは思いますけど、3軍の監督というのは2軍や1軍の監督を務めるための修行の場所ともいえます。
今後は2軍の監督や、もしくは他の球団などで監督などを務めることになるでしょう。
現在、巨人のサイトに江藤智が載っています。→こちら
数々の感動を演出したホームランバッターの江藤智。
現在の3軍での経験を積んで、また1軍の監督などでテレビで観たいですね。