今では大人気スポーツとなったフィギュアスケート。 オリンピックや世界大会で活躍する日本人選手が続々と増え、素晴らしい成績を残している日本フィギュアスケート界には大きな立役者がいました。 それが、元祖女王で「天才少女スケーター」と呼ばれた伊藤みどり。浅田真央が唯一、憧れの人として名前を挙げたのも彼女。 引退後も解説やテレビ番組で引っ張りだこだった彼女は、現在メディアでほとんど見かけなくなりました。今回は、伊藤みどりの現在について調べてみました。 |
伊藤みどりの活躍
1969年8月13日生まれ、愛知県名古屋市出身で3歳の頃からスケートを始めました。
5歳の時に、スケートリンクでスピンやジャンプの真似をして遊んでいたところ、その才能を見出され、幼稚園生の頃から小学高クラスに混じりスケート教室に参加。
また初級・中級・上級の3クラスを合わせて10日間で卒業して本格的にフィギュアスケートを習い始めるなど、当時から飛び抜けた才能の持ち主だったようです。
その実力は結果にも出ており、小学4年の時に全日本ジュニア選手権で優勝。
同年の1980年11月にはNHK杯に特別出場し、その演技力で知名度が上がりました。
その翌月、世界ジュニア選手権に史上最年少の日本代表に選出されて、フリー1位、総合8位の結果を収め、次いで全日本選手権で3位入賞となり、小学5年生・11歳では45年ぶりという快挙!
「天才少女スケーター」の誕生となりました。
*画像出典:ELLE girl
以降、伊藤みどりの活躍は凄まじく、メダルの獲得はもちろんのこと、女子で世界で初めてトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を成功させるなど、とにかく素晴らしい実績。
国際スケート連盟が「伊藤はたった一人の力で女子フィギュアスケートを21世紀へと導いた」と功績を讃えるほど。
『世界で最も高得点を取ったフィギュアスケーター』として当時はギネスブックにも載りました。
1989年の伊藤みどりの伝説となった演技をどうぞ。
*Youtube
145センチと小柄な伊藤ですが、その小さい体から繰り出される演技はとてつもなく、技術は現在でも通用するほど。
日本女子フィギュアスケートのパイオニア的な存在と言えます。
怪我やプレッシャーにも耐え続け、ひたすらスケートに向き合った伊藤みどり。
1985年から1992年まで全日本選手権8連覇、1992年アルベールオリンピックにて銀メダルを獲得し、まさにレジェンドとなりましたが、同年の4月に惜しまれながらも引退しました。
引退後とテレビで見かけなくなった真相
1992年4月25日に新高輪プリンスホテルで引退記者会見を行いました。
日本が誇る伝説の金メダリストの引退会見はメディアに注目されました。
選手引退を発表後、プロに転向。プリンスアイスワールドのメンバーとして、日本の各都市でのアイスショーに出演する道へ進んだ伊藤みどり。
世界からもアイスショーへの出演の話もあったそうです。
アイスショーに出る傍、世界プロフィギュア選手権やインターナショナル・プロフィギュア選手権をも制し、プロとしても第一線で活躍。
その後日本スケート連盟の要請に応じアマチュア復帰するなど、スケーターとして奮闘し続けていましたが、2005年からは主にフィギュアスケート解説者として活動を始めます。
本人の実力はもちろんスケート界の第一人者としての信頼度は高く、解説やコメンテーターとして引っ張りだこだった伊藤みどりでしたが、いつのまにかお茶の間で彼女の姿を見ることがなくなりました。
その理由となる情報がいくつか上がっていました。
その1:業界から干されてしまった説
選手としては正真正銘の「天才」であったけれど、「一部の選手の知識しかなく海外選手の知識は乏しい」や「明らかに特定選手の演技の時だけ言動が変わる」などの厳しい指摘も少なくはなく、伊藤みどりの解説に関しての評価が賛否両論だったという情報がいくつか見られました。
また、バンクーバーオリンピックの女子フィギュア解説の際に、韓国代表のキム・ヨナ選手の演技において回転不足を指摘も実際は減点ナシ。
その大会を界にブログも閉鎖し、解説者としてメディアに出ることがなくなったため、何か圧力がかかったのではという憶測が飛び交っていました。
あくまで噂です。
しかし、その頃から現在に至るまで、フィギュアスケートの解説やコメントなどは断っているという情報もありました。
たしかに、伝説とも言われるトップアスリートですから、業界から干されるようなことはまずあり得ないでしょう。
性格も凄く良いという関係者の情報もネット上で見受けられましたし。
その2:再婚するにあたり家庭を優先したいから説
伊藤みどりは2004年に元劇団四季の俳優だった八巻大さんという方と結婚。
その後、結婚生活2年ほどで離婚したそうです。
離婚の理由については、伊藤みどりの鬱病が原因という噂があります。
全くと言っていいほど話題に上がらなかったため、知らない人も多いようですね。
そして、2009年に一般男性と再婚されて専業主婦として幸せに暮らしているのだそう。
家庭を優先させるため、メデイア関係の仕事はセーブしているそうで、一部週刊誌のインタビューにおいて、伊藤本人がフィギュアの仕事は舞い込んでくるけれど、全て断っていると話しているのだとか。
伊藤みどりがメディアに出なくなった理由は干されたからではなく、家庭やプライベートを優先している説が有力です。
現在の伊藤みどり。九州に移住!
現在伊藤みどりは、再婚された旦那さんの仕事の関係もあり、福岡県で主婦として暮らしているのだそう。
スケーターとしても度々活動されているそうで、2011年からは引退した選手や愛好家向けの国際アダルト選手権という国際大会に出場し、2013年にはマスターズエリートIIクラスで1位を獲得。
引退してから長い年月が経っても結果を残すなんて本当にすごいですね。
この大会のために現役選手に混じってかなりの練習をしたそうです。
2015年2月に行われた北九州マラソンの中継にゲスト出演していて、近況も語っていました。
現在は、福岡県の北九州市でスケートの指導をしています。
スケート教室の情報はこちら
(リンク先:北九州アイススケートセンター)
また、2018年にはトリプルアクセルの先駆者として日本のフィギア界をけん引した伊藤みどりをインタビューしています。
画像の転載は控えますので、こちらから最近の伊藤みどりをどうぞ→インタビュー記事
少しふくよかになっていますが、今も綺麗な人ですよね。
数々の功績を残し、女子シングルの技術的先駆者としても有名な伊藤みどり。
国の代表という重圧を背負っても、とことん負けず嫌いな性格と、とことんスケートと向き合う信念が今もなお賞賛される素晴らしい功績を残しました。
日本スケート連盟が全国の有望な選手を集め、育てる仕組みの原点をつくったのは彼女がきっかけと言われています。
現在の日本勢が健闘を続けている背景に、伊藤みどりの存在が大きいことは間違いありません。
2024年にシニア大会に出場!激太りも、伝わるスケートへの愛
2024年5月、ドイツで開催されたスケート国際アダルト競技大会に54歳にして出場した伊藤みどり。
年相応にふくよかな体型になっていますが、顔はまだまだ40歳以下の様です。
この大会はコロナで行われていない期間があって久々の開催になったのですが、伊藤みどりはなんと連覇しています。
2023年に逝去した坂本龍一のAQUAという曲に合わせて見事に演じ切っていました。
スケートに詳しくなくても素晴らしい演技だと分かる滑り。
さすがは五輪メダリストですね。
今の伊藤みどりは、福岡県に在住しながら一般人男性と夫婦生活を順調に育んでいるようです。
収入面などは良く分かっていませんが、相当な貯蓄もあるでしょうし、問題ないでしょう。
趣味のガーデニングはプロレベルの腕前らしく、伊藤みどりらしさで人生を楽しんでいるようにも思えます。
今後の指導などフィギア界への貢献が益々期待したいですね。