現在のドン・フライ(元格闘家)がアメリカで俳優業!?高山義廣と激戦後の今

1990年代~2000年代に絶大な人気で盛り上がっていた格闘技のPRIDE。
その中でも最も印象に残る試合として今も語り継がれるのが高山義廣vsドン・フライです。
今回は、日本中を盛り上げたドンフライの現在を追ってみました。

ドン・フライの格闘技人生

*画像出典:NAVERまとめ

1965年11月23日、アメリカのアリゾナ州生まれ。
こんなに怖そうな顔をしているドンフライも、なんと、産まれた時は赤ちゃんだったそうです。

高校時代にレスリングを始めたドンフライは、大学に入ると全米選手権で優勝するなど、レスリングで数々の優秀な成績を収めました。

大学卒業後は消防士救急救命士の仕事につきます。

就職後も格闘技は続けて、23歳でプロボクシングでデビュー

さらに、並行して始めた柔道では同じ時期に黒帯になるほどの実力を付けました。

そして、30歳になる頃に、大学の頃コーチを務めていたダン・スバーンが総合格闘技UFCに出場したことがきっかけで、ドンフライも総合格闘技の世界にのめり込んでいきます。

1996年、31歳になる頃がUFCのデビュー戦

かなり遅いデビューになりましたが、デビュー以来、マーク・コールマンに敗戦するまで公式戦は6連勝。

1996年はUFCでは10勝1敗という驚異的な成績を残しました。

1997年以降は「UFC出身の大物」と言われて日本のプロレス界に参戦。

そして、2001年の35歳で格闘技PRIDEに参戦しました。(プライドに参戦したときは総合格闘技5年ぶり)

以後、PRIDEが無くなった後も、総合格闘技は続けており、46歳になるまでリングの上で戦い続けました。

今もなお伝説のドンフライvs高山義廣

ドン・フライは、ゲーリーグッドリッチや、シリル・アビディ、ケン・シャムロックなど数々の大物に勝利を収めており、格闘技ファンからは有名なのですが、何と言ってもドンフライを有名にした試合は高山義廣との一戦でしょう。

試合開始前から睨み合い、ゴングが鳴ると3秒で殴り始めた両者。

ノーガードでの根性勝負に会場は大盛り上がりとなり、試合終了まで合計200発を超えるパンチが飛び交いました。

試合が終わると、ドンフライが高山の体をポンと叩いて、健闘を称えているのもまた印象的ですね。

この時、ドンフライは36歳で高山は35歳。
慎重は高山が11㎝も高く、こんなにタフな試合展開になるとは誰も想像していなかったようです。

ちなみに、高山義廣はプロレスラーであり、総合格闘技の選手ではありません。
総合格闘技ではこの試合も含めて4戦おこなっていますが、0勝で終わっています。

No Fear(恐れるものはない)!」で知られる高山ですが、本当に怖いもの知らずの戦いに観ていた全ての人の胸が熱くなった伝説の試合でした。

その後のドン・フライ

高山との勝負で、大注目を浴びるようになったドンフライですが、その後は吉田秀彦やマーク・コールマン、ミノワマンこと箕輪育久などの実力者にことごとく敗戦。

曙には圧勝を収めていますが、PRIDEで高山に勝利してからの総合格闘技は5勝8敗1分けと、加齢によるものか実力は落ちていきました。

*実は高山戦で負った怪我で何度も手術を繰り返し、後遺症で格闘技が弱くなったことをのちに語っています。

そして、2011年グラディエイタ―・チャレンジというアメリカの総合格闘技大会を最後に、総合格闘技界から姿を消してしまいました。

ドン・フライのプロレスでの活躍

ドンフライはPRIDEに参戦する前に新日本プロレスで活躍していたのですが、総合格闘技の選手でありながらも格闘技を「見世物」として披露していました。

プロレスでの活躍ももちろんですが、何と、2005年の現役バリバリの頃には映画に出演しています。

殴者 NAGURIMONO」という、玉木宏が主演を務める映画で、高山との伝説の一戦を再現していたんです。

*ドンフライの出演は30:40あたりから

映画出演ですが、プロレスのような演出です。

ドンフライはその他にも2007年に日清焼そばU.F.OのテレビCMなどにも出演。

総合格闘技以外にも活躍していました。

現在のドン・フライが凄い!

高山義廣が2017年5月4日にヤス・ウラノとのプロレスの試合で頸椎完全損傷をしてしまい、寝たきりの生活になってしまいました。

自力で呼吸ができなくなるほど、非常に危険な状態でしたが、現在もなお肩から下の感覚も戻っていないそうです。

この高山の試合中の残酷な事故を日本のメディアは大きく報道。

支援団体TAKAYAMAが設立され、多くのプロレスラーや格闘家、著名人などが支援を行いました。

そして、その高山義廣の事故が連日報道される中で、戦友であるドンフライはなんと、リハビリを行う高山に会いに行きました。

かなり感動的な再会になっていますね。

重要な部分を文字起こししてみます。

ドン「言いたいことがあるんだ。」「少し俺の話をしていいかな」

ドン「俺は何度も君を恨んだことがあった。君との試合で選手生命が絶たれ、家族にも逃げられたよ」

高山戦での激しいダメージの後遺症で、何度も手術を繰り返していたドン・フライ。
3週間にわたる昏睡状態に陥るなど、大きな手術を繰り返す。

そして、ドン・フライを待っていたのは現在の高山と同じリハビリ生活だった。

ドン「私は人生で一番輝いていた瞬間(高山との戦い)に支えられていた」「あの時に戻りたいという気持ちでリハビリを乗り越えることができたんだ」

ドンはこのことをどうしても高山に伝えたかったという。

高山「ドンさんは私の誇り。あなたはチャンピオンの中のチャンピオン。私に勝ったのだから」

ドン「違うよ、本当の勝者は君なんだよ」

このシーンは2002年の高山vsドン・フライを知っている人なら誰でも感動してしまいますよね。

ドン・フライはあの激戦で後遺症が残り、もともと高齢ということもあって体がボロボロになってしまっていました。

この高山の事故で久しぶりに日本のテレビに出演したドンフライですが、2019年に武藤啓司の主宰するプロレスリング・マスターズに出場。

総合格闘技ではありませんが、格闘技はこれが最後の試合となりました。

現在のドン・フライはアメリカで役者!

実は高山との試合で体がボロボロになってしまったドンフライは、2004年から役者としても活躍するようになりました。

ドン・フライの出演した作品(一部紹介)

2004年 ゴジラ・ファイナルウォーズ
2005年 No Rules(ファイター役)
2006年 特捜刑事マイアミ・バイス
2006年 Honor(Shay役)
2007年 Big Stan
2009年 パブリック・エネミーズ
2015年 Street Level(ボビー役)
2018年 Fury of the First and the Golden Fleece
2019年 Animal Among Us

これまで数々のアメリカ映画に出演しているドン・フライ。

しかも、売れない映画ではなく、そこそこヒットした映画も!

2019年公開のThe Diggersではそこそこ重要な役を演じています。

これまで日本でも知られている大物俳優との共演もあり、ヒット作品にも出演していることからも、演技力はなかなか評価されているようですね。

調べたところによると、ドンフライはこれまで約30の作品に出演しており、役者としても充分な稼ぎがあると思われます。

年齢は50歳を超えていて、もう総合格闘技はおろか、プロレスも出来ない年齢と体の状態になっているドン・フライ。

高山との激戦の後に、奥さんには逃げられてしまい現在は独身ですが、娘さんは2人いて溺愛しているとのこと。

今後は役者としてさらに活躍すると思われるので、日本でも映画で見かけることがあるかもしれませんね。