オシム(元サッカー代表監督)現在は帰らぬ人に。選手・監督としての輝かしい経歴に注目!

こちらのページは、オシム監督の現在を記載していましたが、2022年5月に、お亡くなりになりました。ページ最下部に情報を追記しています。

オシムとは

ボスニアヘルツェゴビナ出身のサッカー選手で本名『イヴァン・オシム』。

幼いころから靴下を丸めてサッカーボール代わりにして路上でサッカーをしたりとサッカーに明け暮れていました。

14歳の時には【ジェーリョ】の入団テストを受け、400人受けた選考会の20人に残り、【ジェーリョ】でプレーすることになっていきます。

その後、18歳の時には高校を卒業し、大学入学資格を取得しています。

大学は、『サラエボ大学』の理数学部数学科に入学しており、勉強の方もかなり優秀だったようです。

このころには、【ジェリェズニチャル】のトップチームでプレイしており、大学3年生の時にはサッカーの試合出場の報酬が父親の給料を超えていたので将来数学の先生になるかサッカー選手になるか悩んでいました。

ですが、23歳のときにユーゴスラビア代表に選出されたことでプロサッカー選手となり、大学を中退しています。

選手としての活躍

大学在学中に【ジェリズニチャル・サラエヴォ】というチームで活躍していました。

1964年にユーゴスラビア代表として東京オリンピックに出場しており、日本との試合では2ゴールを挙げるという成績を残しています。

1968年にもユーゴスラビア代表に選出されており、『欧州選手権イタリア大会』に出場しており、準決勝でイングランド代表との試合に勝利するも、怪我を負ってしまい、決勝のイタリア代表との試合に出場することはできず、イタリアに敗北しました。

*出典元:youtube

動画は、1968年のフランス代表との試合です。

決勝に出場することは出来ませんでしたが、ベストイレブンにも選ばれています。

1970年には、【ジェリェズニチャル】からフランスの【RCストラスブール】に移籍しており、その後は、【スダン】、【ヴァランシエンヌ】に移籍し、最終的に【RCストラスブール】に戻ってきています。

1978年にストラスブールで現役を引退し、12年間という選手生活にピリオドを打ちました。

選手としても活躍していたオシムですが、12年間でイエローカードをもらうことはなかったようです。

指導者としての活躍

1978年に現役引退し、その後は【ジェリェズニチャル】で指導者として活動し始めます。

1978年にはコーチとして就任していますが、翌年1979年には【ジェリェズニチャル】のトップチームの監督に就任しています。

ジェリェズニチャルの監督を務める傍らユーゴスラビア代表のアシスタントコーチを務めるようになっていき、ユーゴスラビア代表は『ロサンゼルスオリンピック』で銅メダルを獲得しています。

【ジェリェズニチャル】の監督を続けており、『UEFAカップ』で準決勝まで進出していますが、準決勝で敗北してしまい、決勝進出を逃しています。

1986年には【ジェリェズニチャル】の監督を退き、ユーゴスラビア代表の監督へ就任していますが1987年の『欧州選手権』の予選最終戦でイングランド代表に敗北してしまったことで本大会出場を逃しています。

しかし、その後もユーゴスラビア代表を率いており、1990年の『FIFAワールドカップイタリア大会』に出場し、チームをベスト8に導いています。

同じ年には、ユーゴスラビア代表の監督を行いながらも【パルチザン・ベオグラード】の監督も指揮することになっています。

ですが、1992年にはパルチザンとユーゴスラビア代表の監督を辞任しています。

ユーゴスラビア代表の監督とパルチザンを辞任したのは、ユーゴスラビア分裂に抗議する意味を込めての行動だったようです。

ユーゴスラビア代表とパルチザンの監督を辞任して以降は、1992年にギリシャの【パナシナイコス】というチームの監督に就任しています。

その後、1993年にはオーストリア・ブンデスリーガの【SKシュトゥルム・グラーツ】の監督に就任。

【SKシュトゥルム・グラーツ】の監督となってからは、『UEFAチャンピオンズリーグ』に3度出場していますが2002年に監督を辞任しています。

その後、2003年には、【ジェフユナイテッド市原・千葉】の監督に就任し、当時21歳の阿部勇樹をキャプテンに抜擢しています。

2003年に就任して以降は、優勝という成績を残すことはありませんでしたが主力メンバーの放出などであまり成績の期待されていない状況でも年間成績4位という結果を残しています。

2005年には、5人の主力選手を放出していますが『マリオ・ハース』、『イリアン・ストヤノフ』などの補強や『巻誠一郎』、『水野晃樹』、『水本裕貴』などの若手の成長もあり、『ヤマザキナビスコカップ』で優勝という成績を残しています。

*出典元:youtube

【ジェフユナイテッド市原・千葉】の監督として『ヤマザキナビスコカップ』優勝という成績を残しており、2006年には日本代表監督に就任しています。

日本代表監督に就任

*出典元:Twitter

当時、ドイツワールドカップでのグループリーグ敗退や『中田英寿』の引退などで落ち込んでいるサッカー界だったので【ジェフユナイテッド市原・千葉】で成績を残している監督なので歓迎されていたようです。

しかし、『AFCアジアカップ』で4位という成績を残していました。

日本代表監督に就任した翌年、2007年には脳梗塞で倒れてしまいます。

奇跡的に一命を取り留めていますが、日本代表監督を続けることのできる状況ではなくなったのでそのまま退任し、オシム監督の代わりに『岡田武史』さんが日本代表監督に就任しています。

代わった岡田監督が、W杯本戦では良い戦績を残したのは、せめてもの救いでした。

その後は、日本サッカー協会とのアドバイザー契約を締結し、倒れてから7ヵ月ぶりの会見を行っていますが、同じ年の12月に契約満了でサッカー協会アドバイザーを退任しています。

2011年には、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのサッカー協会の『正常化委員会』の委員長に就任し、FIFAとUEFAの停止されている資格を解除することに成功しています。

オシム監督の現在

*出典元:blog.goo.ne.jp

脳梗塞で日本代表監督を退いたオシム監督ですが、2011年にボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー協会の『正常化委員会』の委員長に就任していました。

自身の出身のサラエボに戻っているようでボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー連盟名誉会長や自身の所属していた【ジェリェズニチャル】の名誉会長に現在は就任しているようです。

監督としても活躍したオシムさんですが今では監督に就任してはいないようです。

阿部勇樹がサラエボまで会いに行ったようで画像を見ても少し痩せていますが元気そうですね。

*出典元:jf-2016.com

脳梗塞で倒れてしまったオシムさんですが今でも元気なようです。

監督に就任していませんがもう高齢ということなので監督に就任することは無さそうですね。

ですが、今の日本代表の状況なども気にしているようです。

監督として活動することは無さそうですが、元気な姿をテレビなどで見れることを願いたいです。

また、監督時代に残していた名言をさらに増やしてくれることを期待したいですね。

以下は追記情報です。

2022年5月1日、心臓まひでオシム監督、逝去

2022年5月1日の朝、オーストリアのグラーツで、オシム監督は心臓病により逝去しました。

年齢は80歳でした。

葬儀は母国であるボスニア・ヘルツェゴビナで執り行われたそうです。
日本サッカー協会の反町康治技術委員長も葬儀には参加して埋葬にも立ち会っています。

これにより、5月2日に行われたジェフ千葉は徳島戦で喪章を巻いてプレー。
日本代表も6月2日に行われたパラグアイ戦を喪章を巻いてプレー。キックオフ前には黙とうがささげられました。

また、元日本代表の選手たちも多くのメッセージを残しています。

カタールW杯も日本の活躍を見届けて欲しかったのに、非常に残念でした。

日本サッカー界を盛り上げてくれた、偉大な監督の一人。

ご冥福をお祈りいたします。