守備に定評があり、西武ライオンズや読売ジャイアンツで活躍した黒田哲史。
タレントの新山千春と結婚して話題にもなった元プロ野球選手は、14年に渡るプロ生活を終えて、その後は名前を聞かなくなりました。ファンでなくても応援したくなる黒田哲史のその後と現在をどうぞ。

 

黒田哲史のプロでの活躍

*画像出典:Youtube

1975年1月11日、神戸市出身。

中学から地元では注目されていた選手で、高校は1990年当時は野球の強豪校だった私立・神戸村野工業高校に進学します。ダチョウ倶楽部の上島竜兵の母校です。

 

強豪ひしめく兵庫県で、甲子園には2度も出場。高校時代のエースはドラフト1位で阪神に入団した安達智次郎投手。プロに進む選手が2人もいたこともあり、高校時代は村野工業は強かったそうです。

ちなみに、安達智次郎投手は、阪神が松井秀喜を1位指名して外して獲得した選手。注目度はものすごく高かったのですが、1軍登板はないので馴染みのない選手かもしれません。現在は、41歳の若さで肝不全で亡くなっています。

 

高校時代は甲子園に2度も出場したことで、安達選手とともに評価されていきました。

そして、1992年のドラフト会議で西武ライオンズから4位指名をもらって入団。ここから黒田哲史のプロ生活がスタートします。

 

 

守備固めや代走の切り札として活躍

投手と捕手以外の守備が出来ると言われていた黒田哲史。

実際に、西武に入団したときも大型内野手と言われていたのですが、当時内野で活躍していたのは後のメジャーリーガー松井稼頭央や、打率3割を記録するような田辺徳雄など流石にプロの中でも一流の選手ばかり。

 

黒田哲史は、プロ通算で打率は2割に届かないくらいの打力でしたので、さすがにレギュラーを奪うことは出来ませんでした。

それでも、守備と肩は一流。足もそこそこ速かったので、代走や守備固めの要因として1軍に登録されるようになっていました。

 

2002年には当時セリーグで超重量打線を誇っていた巨人が、守備の弱さを補うために黒田哲史を獲得。内薗直樹投手とのトレードでした。

 

その後は1軍での出場機会が増えていき、打率こそ低かったものの、2004年はプロ野球新記録となる巨人のシーズン240本目のホームランを黒田哲史が放っています。

 

しかし、守備に定評のある小坂誠、古城茂幸、木村拓也の3人が2006年に入団。二岡智宏や脇谷亮太もいたため、もはや出番がなくなってしまいました。
その年のシーズンオフに戦力外通告を受けてしまします。

 

 

新山千春と結婚して一気に知名度が上がる

2004年に巨人で活躍した黒田哲史は、シーズンオフの12月にタレントの新山千春と結婚

当時、タレントとして人気絶頂だった新山千春の結婚で、黒田哲史の知名度は一気に上昇しました。

 

巨人の選手というだけで充分有名になれそうですが、1軍でも守備要因として見られていたこともあり、野球に興味のない人にとってそれまでの知名度はイマイチ。

新山千春との結婚で野球でも一気にブレイクしたいところでしたが、打撃力が上がらないため守備要因としての位置づけは変わりませんでした。

 

2006年7月には娘が誕生するなど、順調に見えていたのですが、前述の通りそのシーズンで戦力外通告を受けました。

 

ちなみに新山千春も現在はあまり名前を聞かなくなりましたが、Youtuberとしてそこそこ活躍しているそうです。現在大きくなった娘さんも登場しているので、気になる方はYoutubeで検索してみてくださいね。

 

 

現役引退したその後

巨人に戦力外通告を受けると、黒田を欲しがる球団がなくて、まだまだやれる自信のあった本人はトライアウトに挑戦。

戦力外通告を受けた選手のトライアウトというのは、一発勝負で運も左右します。

それでも、本人だけではなく家族の運命も変えてしまうテストですから、タレントと結婚していた黒田哲史は密着取材を受けていました。

 

このトライアウトで、見事に古巣の西武ライオンズが興味を示して、2007年シーズンに復帰を果たします。(実際は巨人と西武の無償トレードという形でした)

 

そして、西武ライオンズでは1軍の登板は結局1度もなく、なんと2軍の用具係り担当という仕事になってしまいます。

用具係りになったたった3日後には任意で引退を公示。よほど屈辱的だったのでしょうか。

用具係りといっても成りたくて成れる仕事じゃないのですが、さすがに年収1000万を超えていた選手としては納得いかなかったのでしょう。

 

用具係りを辞めると、これはあまり知られていないのですが、2008年は四国九州独立リーグの香川に在籍。独立リーグからには1年で、その後は選手としては完全に引退しました。

 

そしてその翌年2009年シーズンからは西武ライオンズの一軍打撃コーチに。

さらに2010年のシーズン終了には二軍の走塁コーチになりました。

 

2014年には妻の新山千春と離婚したことが大きく報じられてしまいました。

新山千春の事務所も給料制だという話もあるし、選手時代ほどではなくても西武のコーチとして活躍していたので金銭的には問題はなかったはずで、離婚のハッキリとした理由は分かっていません。

 

しかし、子供の事もあって、離婚後も黒田哲史と新山千春は食事に行くなど仲は悪くないようです。

 

 

黒田哲史の現在

選手を引退してから西武ライオンズのコーチとして、現在も活躍中です。

引退から10年以上もコーチとして続けていられるのは、もちろん評価が高いから。
西武ライオンズの熱狂的なファンであれば、黒田哲史の走塁のコーチングが如何に凄いか分かっていると思います。

 

パリーグの公式Youtubeアカウントでも、黒田哲史の走塁技術の高さを動画にしているシーンがありました。

コメントでも黒田のファインプレーを絶賛するものばかり。

監督としてもコーチとして右腕にしていたいというのがあるのでしょう。走塁コーチの技術で年間に何点か変わるようであれば、少しでも有能な黒田のようなコーチが必要です。

 

ちなみに、黒田哲史は189㎝もあるので、選手よりも目立っていますね。

コーチとしての知識や技術、そして知名度はピカイチですが、なにぶん実績としては乏しい部分があるので、今後は1軍監督までは少し難しい気がします。

それでも、今後評価され続けて2軍監督になって結果を出せれば、1軍の監督で輝く日が来るかもしれませんね。

 

ちなみに・・・

元嫁の新山千春は、現在もタレントとして活動中。前述の通りYoutuberとしての活動が主ですが、テレビ番組などもたまに出ています。

 

新山千春との間にできた子供はまだ10代ですが、「新山小春(こはる)」という名前でホリプロに所属しているタレントさんになっています。本名は「もあ」さんだそうです。

このチャンネルにもいつか黒田哲史が出演してくれると良いですね。

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