かつて整った顔立ちから角界のディカプリオと言われ、大相撲でも大関まで上り詰めた把瑠都。
エストニア出身で、優しさが評判の怪力の持ち主は20代で大相撲を引退しましたが、その後は波乱万丈。
現在の把瑠都は日本を離れて凄い職業についていることが分かりました。

 

把瑠都 凱斗(バルト カイト)の大相撲時代

 

*画像出典:知っ得Info

1984年11月5日生まれ。本名はカイド・オーヴェルソン。
旧ソビエト連邦のエストニアで、女手一つで育てられた元外国人力士です。

 

幼くして父親を亡くした把瑠都は、やさしい性格と巨体であることから壮絶ないじめを経験していましたが、柔道を始めたことをきっかけにエストニアの国際相撲連盟から相撲の指導を受けた際に相撲に目覚めます。

 

エストニアではバーの警備員などの仕事をしながら相撲の稽古に勤しみ、10代後半になる頃には大相撲の力士として日本の相撲部屋に入門することが決定。

 

2004年に初土俵を踏むと、序の口、序二段の2場所連続で優勝し、みるみる出世していきました。

 

2005年には9月場所で新十両、12勝3敗の好成績を収めると、その後は急性虫垂炎などを発症してしまい十両陥落してしまいますが、2006年の3月場所では再十両すると、なんと全勝優勝

翌年からはケガに悩まされながら負け越す場所もありましたが、敢闘賞や優勝を繰り返したこともあり2010年3月31日に大関に昇進が決定しました。

 

2012年1月場所では幕内最高優勝を飾るなど活躍しましたが、198㎝もある大きな体を支える足を中心に何度も怪我を引き起こしてしまいます。

 

結局、2013年9月には左ひざ靱帯損傷が回復することなく9月場所が始まる前に現役引退を発表しました。

 

通算成績は431勝213敗102休という成績で、怪我で悩まされただけあって休場が目立つ成績になってしまいました。

 

 

力士を引退すると会社経営と格闘家に転向

大相撲をケガで引退することになりましたが、相撲協会は「関脇の地位で10勝をあげれば大関に再昇格する」という特例を設けていました。
本人も後に相撲に対する未練を語っていたので、続けたいという気持ちはあったのでしょうが、どうしても怪我が上手く治まらず引退に至ってしまいました。

 

断髪式は2014年2月8日に両国国技館で行われ、その後は同じく元・外国人力士の曙 太郎に全日本プロレスに勧誘されるなど色々と噂がありましたが、エストニアに帰国してしまいます。

 

まだ29歳にして日本を離れエストニアに帰ると、把瑠都は会社経営をスタートさせます。

日本とエストニアを行き来して培った旅行のノウハウを活かし、旅行業を始めると、自動車整備会社宿泊施設など5つの事業を次々に経営。

 

現在では形は変わっていますが、今もまだ会社は残っているようです。

 

エストニアで会社を経営していた把瑠都ですが、引退から囁かれていた格闘技への転向を実現することになります。

 

2015年12月31日、大晦日のRIZIN 2015で、注目カードとして「K1界の重鎮」ピーターアーツと対戦

判定にはなりましたが、3-0で勝利を収め、相撲出身では不利と言われている元力士の勝利は大きく報道されました。

 

母国エストニアで会社を経営しながら日本で格闘家として活躍していた把瑠都は、2016年にビートたけしが経営するオフィス北野に所属してタレント・俳優としても始動。

佐藤隆太と共演するなど、元力士が俳優として成功した例は少なく、かなり話題になりました。

 

しかし俳優業を着実に進めていくと思いきや、格闘技では大物ファイターであるミルコ・クロコップにKO負けを喫するまでデビューから3連勝していました。

 

その2016年の大みそかにミルコに敗北した後は格闘技界から離れて、2018年にはエストニアに完全に帰国してしまいました。

 

 

現在の把瑠都(バルト)はエストニアで国会議員!

エストニアに帰国したのは理由がありました。

というのも、事業家として会社を経営する傍ら、政治家になるために帰国した把瑠都。

2018年8月5日に自身のTwitterで帰国することを報告。

「ちゃんこ鍋が恋しくなったら日本に戻る」とツイートしていることから、一時的な帰国でないことが分かります。

 

自分の会社の事もあったかもしれませんが、その翌年、把瑠都はエストニアの国会議員選挙に立候補!
そして、なんとか当選を果たしています。

同国の公共放送ERRによると、把瑠都は2019年3月3日に行われた同国の議会選に与党から出馬し落選。しかし、同じ選挙区から出馬した別の候補が、現在務めている市長の仕事を続けるために当選を辞退すると表明。次点だったホーベルソン氏が繰り上げ当選することになった。

2018年に突然に日本を離れた把瑠都ですが、2019年3月に国会議員選挙に出馬して当選。

当選と言っても得票数は642票で次点で一度は落選したものの、最多得票者が辞退したための繰り上げ当選となり、結果的にエストニアの与党議員となりました。

 

子供の頃にいじめを経験し、女手一つで育てられた優しい心を持った強い把瑠都が、母国で政治家として活躍するのは地元メディアも歓迎するような報道だったようです。

 

議員になった把瑠都は、Twitterでも日本語でしっかりと報告。

日本とエストニアの架け橋になるような活動をすることを誓っています。

 

 

政治家として活動は、エストニアのメディアサイトの情報によると、2020年2月8日には公務で来日し、青森県弘前市のスーパーでエストニアの食料品(サーモンやスナック菓子)をPR。

日本ではあまり大きく報道されなかったものの、そのスーパーの関係者が働きかけたことによってエストニアの商品を扱うようになったとのことですので、自国の商品PRは成功していると言えそうです。

 

その後、2020年同じく2月。
日本・エストニア首脳会談で当時の総理大臣である安倍総理とエストニア共和国ユリ・ラタス首相が総理官邸で会談を行いましたが、仮想通貨暗号資産のショップモール「クリプト・モール」のストラテジーアドバイザーとして把瑠都も出席。

もちろん議員としての出席だったので、「カイド・ホーヴェルソン氏も出席」と本名で報道されていました。

 

将来はエストニアの大統領になることを明石家さんまの番組で語っていたこともありますので、もしかすると現在のように順調に議員活動を続ければ将来は総理大臣になるかもしれませんね。

 

以前まで運営していた会社は現在も運転しているようですが、タレント活動や格闘技などは一切せずに、把瑠都は議員としての活動だけを行っています。

2009年、日本にいた頃に結婚したロシア人の奥さんとも上手くいっているようです。

 

相撲では横綱になれませんでしたが、今後の把瑠都の政治家としての活躍にはかなり期待できそうですね。

引き続き、把瑠都の新しい今の情報が入り次第、更新予定です。

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